ドーベルマンボルドー裏ブログ

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というより、いまや本館(笑)




 境界線は、心が静かに覚えていく 



先日、YouTubeチャンネル

「闇を抱きしめて」さんの動画を拝見しました。




【動画リンク】

https://youtu.be/7tFiF0be9uM?si=YCg6u2wNZpXqQXxn


「なぜ精神的に成熟した人ほど人間関係を切るのが早いのか」


その言葉を聞いたとき、

どこか胸の奥で、静かに頷く感覚がありました。



この記事は、その動画から受け取った余韻をきっかけに、

人との距離やつながりについて、私なりに言葉を探してみたものです。



若い頃、人との関係は「続けること」に意味があると思っていました。


少しくらい無理をしても

違和感を覚えても

自分が折れれば丸く収まるなら

それが大人の在り方なのだと信じていた時期があります。


関係を守ることは、優しさの証のように感じていました。


けれど、時間が経つにつれて、

優しさだと思っていたものが、

いつの間にか「自分を後回しにする習慣」に変わっていたことに気づきました。


人は、はっきり壊れるよりも、

静かに疲れていく方が気づきにくいのかもしれません。


話したあとに、言葉にならない疲労が残る。


本音を飲み込むことが増えていく。


なぜか自分を小さくしてしまう。


そうした小さな違和感は、

昔の私は「気のせい」と片づけていました。


けれど今は、少し違うふうに感じています。

違和感は、関係を壊すための感情ではなく、

心がそっと教えてくれる境界線なのかもしれない、と。



「人間関係を切る」という言葉は、

どこか鋭く、冷たい響きを持っています。


けれど実際には、多くの場合、

誰かを拒絶する行為ではなく、

距離を選び直すという静かな選択なのだと思います。


相手を変えようとしないこと。


自分を無理に変えようとしないこと。


そのどちらも諦めではなく、

関係を誠実に見つめ直した結果として生まれるものなのかもしれません。


関係を見直す過程には、迷いがつきものです。


長く続いた関係ほど、

そこには思い出や温度が残っています。


だからこそ、距離を置くという選択は、

時に裏切りのように感じてしまうこともあります。


それでも、関係を続けることだけが愛情とは限らないと、

少しずつ分かってきました。


相手を責めないこと。


自分を犠牲にしないこと。


それぞれの人生を尊重すること。

距離の中に宿る優しさも、確かに存在している気がします。


人とのつながりを整理すると、

最初は空白が生まれます。

けれどその空白は、

何かを失った空間というより、

風が通るような余白に近いものかもしれません。

その余白の中で、自分の輪郭が少しずつ見えてくる。


そして不思議なことに、残っていく関係は、

以前よりも静かで、深く、穏やかなものになっていく気がします。


成熟とは、誰とでも分かり合えることではなく、

誰となら、沈黙を分かち合えるかを知っていくことなのかもしれません。



人との距離は、目に見えるものではなく、

心がそっと測っているものなのかもしれません。

近くにいることで守られるものもあれば、

少し離れることで守られるものもある。

関係が変わるとき、

そこには失われるものだけではなく、

静かに生まれていくものもあるように思います。

人はきっと、

その時々の自分に合った距離を、

言葉にならない感覚の中で選びながら生きているのかもしれません。




深く考えるきっかけをくださった

「闇を抱きしめて」さんの動画に感謝しています。





――依頼から完成までの記録――

今回、亡くなった愛猫さんの絵のご依頼をいただきました。

正直に言うと、最初は少し迷いもありました。
飼い主さんがこの表情が好きと言われた第1候補の写真は、
光が少なく、陰の多い一枚。
そのまま写し取るだけではなく、
「この子らしさはどこにあるのだろう」
「飼い主さんは、この子のどんな表情を思い出しているのだろう」
そんなことを考えながら、何度も見つめました。



キリッとしたハンサムさんです



私はプロの画家ではありません。
独学で、描くことを始めてまだ日も浅いです。


それでも、今回だけは
“上手に描く”よりも
“この子が、そこにいると感じてもらえること”
を一番大切にしようと思いました。


写真より少しだけ、やさしく。
少しだけ、穏やかに。
(キリッとしたハンサムさんだからね)
意識的に、明るくもしています。


それが正解かどうか、何度も自分に問いかけながら、
一筆一筆、進めました。



完成間近。。。この絵が完成したらもう一枚描く



私は悲嘆療法士として、
これまで多くの「大切な存在を失った気持ち」に触れてきました。

悲嘆は、急いで癒えるものではありません。
無理に言葉にしなくてもいい時間や、
静かに想いを向ける“何か”が、
その人を支えることもあると感じています。


今回描いたこの絵も、
そんな「言葉にならない想い」に
そっと寄り添う存在になれたら――
そう願いながら描いていました。


完成後、発送前に
「届くまでに見たい」と言われ、
LINEのやり取りの中で完成写真をお見せしました。

すると返ってきた言葉は、、、
「愛猫が生きているみたい!!」
そして、感動して涙してくれている、というものでした。


その言葉を読んだ瞬間、
胸の奥が、静かに熱くいっぱいになりました。

私の未熟な絵であっても、
それがほんの一瞬でも
悲嘆の癒しに繋がったのだとしたら。

そして、大切な存在を描かせていただけたこと自体が、
何よりもありがたいことだと、心から感じています。


絵が誰かの記憶に触れ、
誰かの大切な存在を
「確かに、ここにいた」と感じてもらえること。
それは、描き手として、そして一人の人間として、
とても尊い経験でした。


この絵が、
飼い主さんの日常のどこかで、
静かに、やさしく寄り添うものになりますように。


向かって右の絵が飼い主さんから依頼された写真から 
左はドーベルマンズの裏庭の夕焼けの中に寝そべる愛猫さんを描きました



〜あとがき〜


写真よりも、絵のほうが生きているように感じられた理由


今回、
「生きているみたい」
という言葉をいただきました。

なぜ、そんなふうに感じてもらえたのだろう。
制作を終えた今、静かに振り返っています。

写真は、ある一瞬を正確に切り取ります。
光、角度、表情――
そこに写っているのは、確かに“その時”の姿です。

一方で、絵は一瞬を写すものではありません。

何度も写真を見返し、
描いては離れ、また見つめ直す。
時間をかけて、その存在に向き合い続けます。


私はこの子を描くとき、
「この写真を再現すること」よりも、
「飼い主さんの記憶の中にいるこの子」に
近づこうとしていました。


少し陰を和らげ、
少し表情を穏やかにし、
この子らしさだと感じた部分を選び取る。
それは写実ではなく、
“記憶に寄り添うための描写”だったのだと思います。


人は、
目の前の現実よりも、
心の中に生き続けている姿に触れたとき、
強く「生」を感じることがあります。


また、絵には
描き手のまなざしが残ります。
機械の目ではなく、
人が見つめ、迷い、考えた痕跡が、
線や色に静かに宿ります。

そのまなざしが、
「この子は大切に想われている」
という感覚として、
見る人に伝わったのかもしれません。


だからこそ、
写真よりも生きているように感じられたのだと、
今はそう思っています。


この経験を通して、
絵は“姿を写すもの”であると同時に、
“存在の気配を残すもの”でもあるのだと、
改めて感じ、私にとって とても深く尊い学びになりました。
(絵は記憶に寄せる操作があり 記憶への翻訳だと学びました)


なによりも大切な愛猫さんを描かせていただけたことに
心より感謝致します。





2026年 新年あけましておめでとうございます!

 

昨年はハンドメイド作品をお休み(個々オーダー以外)させて頂きましたが、

それまでにたくさんのハンドメイド作品を手にとっていただいたこと、
心から御礼申し上げます。

 

『また作品を作って欲しい』『この作品に出会えて嬉しい』
そんな言葉をいただくたびに、手を動かす時間の重みを感じておりました。

 

今回は、2026年の干支『午(うま)』のあみぐるみについて、
販売の詳細をまとめました。

2026年の干支・午のあみぐるみについて


2026年の干支は「午」。

 

馬は、前に進む力やしなやかさ、生命力の象徴とも言われています。
新しい年のはじまりに、そっと寄り添う存在になれたらと思い、
小さな馬のあみぐるみを制作しました。

 

今回は 2個で1セット。
並べて飾ったり、色違いで楽しんだり、
ご家族や大切な方と分け合っていただくこともできます。

 

 

お好きなカラーから2個選んでね♪ ↑写真の馬さんはEとDのペア(下写真参照)

 

 

・一つひとつ手編みで制作しています
・自立する形になるよう、バランスを大切にしています
・たてがみやしっぽは、柔らかさと表情が出るよう仕上げています

 

また、お好きなカラーをお選びいただけます。

完全な量産ではなく、その時々の糸の表情を活かしながら編んでいるため、
それぞれ少しずつ違った表情になることも、
ハンドメイドならではの魅力として楽しんでいただけたら嬉しいです。

 

 

お好きなカラーを2個選んでペアにしてね♪

編み図 meetang&Co.

 

 

販売詳細

【セット内容】
・馬のあみぐるみ 2個(カラー選択可)

【価格】
・2,600円(定形外郵便・送料込み)

今回の販売価格は 2個セットで2,600円(送料込み) です。
2026年という年にちなみ、
「26」から取って 2,600円 という価格にしました。
これまでの制作経験や材料費、制作時間を踏まえつつ、
無理なく、長く作り続けていける価格として設定しています。
年号とリンクした、2026年限定の価格です。

 

 

 

【発送について】
 

・オーダーを頂いてから作成いたしますので
到着まで結構お時間が掛かると思います。 
何卒ご理解くださいませ。
・定形外郵便での発送となります

 

 

【ご注意】
・一つひとつ手作業のため、個体差があります
・強く引っ張ったり、水濡れにはご注意ください


 

★裏庭管理人Cooハンドメイドの『2026年干支 午のあみぐるみ』をご希望の方は、下記メールアドレスにてお申込みくださいませ。

 

ワタクシのLINEをご存知の方はそちらからのご予約で大丈夫です♪

 

・メールアドレス 

coodamon@yahoo.co.jp

※ここ大事※
↓↓↓
・メールのタイトルには、『2026年干支 午のあみぐるみ』と入力してください。

・メール本文には、欲しい馬さんのカラーのアルファベット2つと、
お届け先ご住所・お名前を必ずご記入してください。

・お支払い方法は指定口座へのお振込みとさせて頂きます。
(恐れ入りますが振込み手数料はご負担下さい。)
発送準備が整いましたら、こちらから口座情報をメールさせて頂きます。

 

 

 

昨年描いた馬w

 

人はなぜ「わかってほしい」を手放せないのか

私の外側ではいくつかの関係が終わった。劇的と言えば劇的だが、内側ではずっと前から静かに準備が進んでいたように思う。

母との縁を切ったことも、その一つだ。 怒りや復讐心からではない。ただ、もう説明する必要がなくなっただけだった。





「わかってほしい」という気持ちは、とても人間的だ。 苦しみの中にいるとき、誰かに理解されることで自分が救われるような気がする。 だから人は、自分の物語を語り続ける。

けれど、いつからか私はその欲求が薄れていった。 誰かに誤解されても、理解されなくても、訂正したい衝動が起きなくなった。

それは強くなったからではない。 むしろ、力を抜いた結果だった。




人が「わかってほしい」を手放せない理由の一つは、 それが自分の存在証明になっているからだと思う。

わかってもらえれば、私はここにいていい。 共感されれば、私は間違っていない。

そうやって他者の反応に、自分の立ち位置を預けてしまう。


けれど、自分の内側に問い続けていくと、 いつか気づく瞬間が来る。

わかってもらえなくても、私はここにいる。誰にも説明しなくても、私の体験は消えない。

その感覚が根を下ろしたとき、 「わかってほしい」は、


必要ではなくなる。




理解されないことは、孤独ではある。だがそれは、必ずしも不幸ではない。

沈黙の中で、自分の感覚と矛盾なく立っていられるなら、 人はもう、外側に証明を求めなくなる。




私は今、誰かを説得したいとも、導きたいとも思っていない。 ただ、そういう段階が確かに存在することを知っているだけだ。

今年、関係が終わったことも、距離が生まれたことも、 私にとっては喪失というより、自然な移行だった。




人はなぜ「わかってほしい」を手放せないのか。


それは、自分自身がまだ 自分の側に立てていないからなのかもしれない。

そしてもし、いつかそれを手放せる日が来たなら、 その人はきっと、静かに生きている。

誰に見せるでもなく、誰に証明するでもなく。


私は、そういう生き方があることを、今年ははっきりと知った。





 

今年という一年を振り返りながら

今年を振り返ると、外側では大きな出来事があった。


長い間、胸の奥に重さとして残っていた“母との関係”に、はっきりとした区切りをつけた。
それは決して軽い決断ではなく、ある意味、今年の中で最も劇的な瞬間だったと思う。

 

けれど不思議なことに、その出来事は嵐のような激しさではなく、
むしろ 静かで、必然で、ようやく辿り着いた答え のように感じられた。

その決断を境に、人間関係の見え方が大きく変わり、
自分の心がどこで動き、どこで動かなくなるのかが、
以前よりずっと明確になった。

 

誰かの期待に合わせるための優しさではなく、
自分を犠牲にしてまで続ける関係でもなく、
“自分を守りながら、大切なものを守る”という感覚が、
今年、ようやく自分の中に根を下ろしたように思う。

 

痛みや違和感に蓋をせず、
「これは自分のものではない」と静かに手放すことができたとき、
内側の空気がすっと澄んでいく瞬間が確かにあった。

 

振り返れば今年は、
「終わらせるべき関係」と「これから育てていく関係」が、
はっきりと分かれた一年だった。
(終わらせた関係の人たちがこの先もどうか幸せでありますように!と心から願います)

 

そしてこの経験は、
私自身の“人生のテーマ”がより鮮明になっていく過程でもあったのだと思う。

 

★★★

 

今年の体験からの学び

 

人生には、誰にも見えないところで続いてきた「内側の旅」があります。

それは華やかでも劇的でもなく、むしろ静かで、長く、深い旅です。

 

多くの人は、誰かの期待に応えるために自分の形を変え、

心の境界線を曖昧にしたまま生きてしまいます。

しかし、ある時ふと気づきます。

 

「本当に大切にすべきものは、自分の内側にしかないのだ」と。

 

この気づきは、誰かに勝つための強さではなく、

誰かに合わせる柔らかさでもありません。

それは “自分の輪郭を取り戻すタイミング” に訪れます。


 

★★★

 

境界線は冷たさではなく、成熟の証

 

優しい人ほど、他人の痛みを代わりに背負おうとします。

相手が笑顔になってくれるなら、それでいいと思ってしまう。

けれど、相手の人生も感情も、自分が背負えるものではありません。

 

だからこそ、境界線は必要なのです。

 

境界線とは、距離を置くことではなく、

相手と自分の“責任の線”を分けること。

 

優しさを守りながら自分を壊さないために、

成熟した優しさは必ず境界線と共にあります。


 

★★★

 

静かに寄り添うということ

 

「寄り添う」と聞くと、相手の痛みに同調し、

一緒に沈んでいくことだと思いがちです。

 

けれど本当の寄り添いとは、

自分の中心を乱さず、相手の心を尊重すること。

 

相手を“助ける”のではなく、

相手が“自分で立つ力”を取り戻すのを待つこと。

 

その静かな距離感こそ、

最も相手の尊厳を守る寄り添い方です。


 

★★★

 

喪失の経験が教えてくれるもの

 

人は、大切な存在を失った時、

世界の輪郭が少し変わることがあります。

 

悲しみは深く、時に言葉にならないほどですが、

その痛みの中で人は必ず、

自分の本質 と向き合うことになります。

 

喪失は、奪うためだけにあるのではありません。

そこから再生する力を静かに育てるために、

人生が与える大きな教えでもあります。

 

悲しみを知る人は、他人を支えるときも静かで優しい。

自分の物語を押しつけず、ただそばにいることができるからです。


 

★★★

 

自分の真実で生きるという選択

 

他人の声や価値観から離れ、

自分の内側にある“本当に大切なもの”に従って生きることは、

とても勇気のいる選択です。

 

けれど、自分の真実を生き始めた瞬間、

人生は驚くほど静かに整い始めます。

 

✔ 気を使いすぎず

✔ 無理をせず

✔ 他人の感情に飲み込まれず

✔ それでも優しさを失わない

 

そんな生き方は、誰でも到達できるものではありません。

けれど、目指す価値のある生き方です。


 

★★★

 

静かで強い人であること

 

大きな声で主張するのではなく、

人を操作するのでもなく、

ただ淡々と、自分の心に従って進んでいく。

 

その姿は一見、地味で控えめに見えるかもしれません。

しかし、静かさの奥には揺るぎない強さがあります。

 

静かで強い人 とは、

心の中心がいつも穏やかで、透明で、

他人の混乱に飲み込まれない人のことです。

 

そしてその穏やかさは、

周囲にとって大きな支えになります。


 

★★★

 

おわりに ― あなた自身の人生のテーマ

 

人生のテーマは特別なものではなく、

日々の選択の積み重ねの中に現れてきます。

 

それはこう言えるかもしれません。

 

「静かで、境界線のある優しさを軸に、

自分の真実に沿って生きること。」

 

この生き方は、あなた自身を守り、

同時に周囲への最も成熟した“癒し”にもなります。

 

あなたが自分を乱さないことで、

あなたの周りの世界も静かに整っていきます。

 

その静けさこそ、人生があなたに与えてくれた贈り物です。

 

 

 

クレヨン画 Coo