私の「あるの日記念日」
私は、「ある」を、強烈に体感したことがある。あの感覚を、今頃だけど、もっともっと身体に馴染ませたい。母親が亡くなって、私は「丸じゃなくなった」とずっと思ってた。自 分が欠けていると思って、必死にまわりのものを掴んで握りしめた。「丸になりたい」「私は三角だ」「私は欠けている」ホントにそう思ってた。父が再婚して、ようやく丸になれたと思った。だけど、安心していたのは少しの間だけで、家の中は不穏で、喧嘩が絶えなくて私は、自分が黙ることで、バランスをとろうとしていた。数年して、父が離婚して、静かなリビングを見渡した時、「あれ?私、もともと丸だったんだ」「どこも欠けてないじゃん」って、急激に目が覚めたような、血流が戻ったようなそして、どっしりとした安堵感。全部あったのに、ないないって呼吸困難で何でもいいから掴めるもの掴んで。そんな必要全然なかった。あぁ、あの感覚を何度も何度も味わおう。もともと幸せであること、身体にセットしよう。