「悩んでるんですよ〜」という若者と話をしていて

「そうかそうか、一体何にそんなに悩んでるんだい?」と組み合うことはせず

悩みの目的は何だろ、とまず観察するわけです。

 

感覚でしかないけど、文字通りに、”何かを決めようと思って悩んでいる”ことはあまり多くなく、半分程度は「悩む」ということ自体が目的になっているなぁ感じており。

 

つまり、

 

悩むことに酔っている(悩みたいお年頃、ファッション)

 

とか

 

本当はやりたくない自分の落とし所(やらない自分のパラシュート落下)

 

ということは結構ある。

 

 

そういう場合はまず本人は自覚をしていない。というか、もし自覚(メタ認知)をしていたら、そういう悩みをしていることはない。

 

 

残りの大部分は、ほぼ答えが出ているケースで

 

背中を押してほしい。

誰かと話して気持ちを固めたい。

 

みたいな類だろうと思う。

 

 

いずれにしろ、ほとんどのケース、まずやってみれば良い、といつも思っている。

 

 

・まず死にはしない(紛争地域に関わるなど極端なケースは別として、リスクは高くない)。

 

・死にはしないから、これから先を死んだように生き続けるよりも遥かに期待値は高い。(しょっちゅう牛丼屋に通ってた学生時代、勇気を持って飛び込んだ汚い定食屋のコスパが最高だった時のその後の学生生活レベルの底上げといったらもう)

 

・どうせ100年経ったらみんな灰になっている。だったら好きにやれば良い。

(100年後に灰になってる人に何を言われたって、今生きている自分を制限するものは何もない。ちなみにもちろん自分も灰になってる。)

 

・化学や生物を含む物理現象以外は、全て後から人間が勝手に決めたもの。経済も法律も道徳も、所詮人生ゲーム内のルールやハウツーに過ぎない。

(絶対視するものではない。真理でも正義でもない。ただのこしらえた土俵だ。土俵の外にも空も地面も空気もある。)

 

 

そんな話を前にした。

 

 

やってみれば良い、と言ったが、「やれ」なんて1mmも思っていなくて、別にやらなくたって良い。

彼の選択の結果は彼の人生に反映するわけで、僕の人生ではない。

彼が決めれば良い。

 

もちろん僕は彼の全てを知らないし、抱えているもの全部を共有しているわけでもない。僕と彼は違うし、環境も状況も最終的には分かり得ない。

僕が思っているのと比べて想像以上に彼にとって負荷が大きい場合も当然ある。

そもそも価値を置く部分が違う。つまり幸せが違うから。

 

 

できることといえば、彼の観点になさそうで僕が持っている観点をいくつか提示することと、「僕だったらー」という前提でサンプルとして話をすることぐらいだ。

 

 

今の牛丼屋が毎日それなりに幸せならそれで良い。紅生姜を乗せたり、七味を振ったり、あれこれ味変考えながら行くのもあり。

 

でも牛丼屋に違和感を感じてきたら、気になっている汚い定食屋に入ってみるのもあり。

新しい世界が開け、これからの人生がよりハッピーになるかも知れないし(何で今まで知らなかったんだろう的な)、逆に牛丼屋のありがたさが身に染みるかもしれない。

 

 

その程度の話だろう、と思っていたりする。