「ケンカせず、みんなと仲良く。」
という解像度の低いモットー。
これを大人が都合よく使ってしまうことで、子供を今、そして将来に向けて苦しめてしまっているという側面はある。
これは結構本気で思っていて。
暴力はダメだけど、意見の対立はしっかりすれば良い。
子供の頃は特に感情のコントロールが難しいから、意見の違いの種からケンカに発展しがちかも知れない。
叩いたりすることがあるかも知れない。
でも、そこでやっていくべきアプローチは、意見が違う上で相手を尊重し、感情をコントロールしたり、感情と切り離して考えたりすること、そういうトレーニングじゃないんかなぁ。
「仲良くしましょう」「我慢しましょう」というのは、大人の都合で(面倒くさいから)臭いものにフタをしているだけということはないか。
意見が違う中で対話を通して理解しあったり(意見を合わせるということではなく、ちゃんとお互いの違いを理解するということ)、上位概念で共通できる部分を探して、そこを軸に互いの最適解を見つけることが大事で、決して特定の意見へ向けて自分を誘導的に納得させることじゃない。
必要なアプローチは、意見の違いを無くそうとすることや、ウヤムヤな中で我慢を覚えることじゃなくて、意見の違いを当たり前としたうえでその先の感情のコントロールや思考のトレーニング、課題解決、交渉のための対話の力。
こっちなんよね。
それから、みんなと仲良くって、そんなに大事?
苦手な人とはそれなりの付き合いをすれば良い。
当然いがみ合う必要は全くない。
苦手であるということは、ただのそのタイミングの個性の相性の問題で、そこに善悪の概念はない(パズルのピースAとピースBが互いにハマらないときに、ピースAは悪なのか?)。
相手は相手で素晴らしい人間だ。がしかし、僕とはどうも今ピースが合わない。
だから距離を置く。
それだけ。
嫌う必要もない。
でも嫌ってはいけない訳ではない。
そして全員が仲良くなる必要もない。
仲良くできないのに、仲良くしなきゃいけないという倫理観によるプレッシャーって思ったよりある。
仲良くできない自分が悪いと感じると、小さな心で抱えきれないプレッシャーを自分で抱え込むか、外に向かうか。
いいじゃん。
苦手なら苦手で。
嫌いと感じたら、嫌いでしょうがない。
大丈夫、悪くない。
でも虐めたり攻撃したりするのは×な。
それはしないから、十分立派だよ君は。
とか思う。