心と体は車の両輪。

というか、心と行動(言動)は両輪というか。

 

停滞した時は、どっちか動かしやすい方から動かすのは良いよな。

 

 

困ったときは、

困った心と困った顔と困った言葉の、3点セットで挑みがちな人も多い。

 

困ったときは困った顔と困った言葉を使わなきゃいけないなんて、

そんな非効率なこと、一体誰から教わったのかしら。

 

ごく端的に言うと、思考停止と保身が根っこ。

 

 

それはさておき、

 

困った心が重たくて動かしようが無かったら、

困った顔と困った言葉から、まず前向きな顔と言葉に切り替えるのも手。

 

それも難しければ、歩くときに少しだけスキップ気味に歩くのも方法。

 

ついでに鼻歌も歌ってみればいいじゃない。

 

曲じゃなくても「ふんふーん♪」と言うだけでも。

 

 

 

どうしても誰かと比較してしまうなら、歴史上の人たちと比べてみる。

 

 

戦国時代の農民。

 

中世ヨーロッパの小国の王子。

 

第二次世界大戦時の日本国民。

 

 

 

まあピンとこないなら

 

過去の体調を崩していた時の自分、

 

色々不自由になった架空の自分、

 

50年後の自分

 

を想像してみたり。

 

 

 

他にも例えば、

 

自分以外全ての生物が滅亡し、たった1人地球に残ったとする。

 

荒れ果て、生き物が1つもいないと思ってた地球を歩く中で、

ただ1つ、ヨレヨレになりながら生きる小さな「雑草」を見つけた。

 

普段は見る価値も無いと思っている、その「雑草」(敢えて雑草と言う)が、どれほど愛おしいことか。

さて、さらに歩いていくと、何と何と、生き残っていた人間の姿が遠くに見えるではないか。

 

あろうことか、集落を見つけた。

 

住むことが出来る家を見つけた。

 

ご飯を見つけた。

 

何と幸せなことか。

 

と。

 

そういう世界線は、

頭のなかではいつだって生きることが出来る。

 

そうだよ、君はそういう世界を歩いて来たんだよ。

 

もう忘れちゃったのかい?

 

とか。

 

そういう世界線ね。

 

 

写真は、火星。

 

 

もし遥かに地球を離れ、長旅をし、ここに降り立ったとして。

 

もし何らかの微生物の痕跡を見つけただけで、さぞ愛おしかろう。

 

そう、

 

その気持ちを日常に持ち込むのである。

 

 

なんてな。