「Aが問題なので何とかしてくださいよ!」
という時に
「すぐAを何とかしよう!」
と、すぐ慌てて直線的に飛びつかないことも大事で。
「Aが問題」とは言ってるけど、本当にAが問題なのかしら?
解決策は「Aを何とかする」ことなのか?
というスタート地点も大事だったりするよね。
結構、そもそも額面通りAが問題じゃない場合は多い。
難癖つけたい、一矢報いたい、このまま引き下がったんじゃメンツが立たん、
ワシは聞いてない、普段からアナタのこと嫌いなのよ、
私が責められるのよ、私がお客さんに説明できないのよ、
とか、本人が自覚しているかどうかは別として、そうした目的のために「問題A」をひねり出している、という実態ということもありますね。
そういう場合に、愚直に「Aを何とかしなきゃ」とかやってると、モグラ叩きになっちゃう。
Aが終わったら、B、C、Dと次々問題を繰り出してくるだけの話で。
とはいえ言われたからにはAを無視できないので、
Aを解決しながら、それを通してその根源を狙うというアプローチは必要だったりする。
そして「お客さんに説明できないのよ」とかいう原因の場合は、
説明をできるセリフやストーリーを用意してあげつつ、
かつ、さもその本人が自分で見つけたかのように、会話の中でテーブルの上に転がしてあげるとよい。
私からアナタに渡すのではなく、あくまでテーブルに自然に転がす(最初からあったかのように)。
それを本人が自分で発見して自分の手で拾い上げる。
そして勇気づける。
くれぐれもこちらから渡すのではない、ココめちゃ大事。
あと、
「Aが問題なので何とかしてくださいよ!」をもう少し解像度上げると
「 ”私は” Aが問題 ”だと感じている” ので何とかしてくださいよ」
ということで、まず
「私」の感じ方は分かったけど他の人はどうなんだ、
その上で「私」が問題だと感じている状態で何か差し障りあるのか、
という、考える余地と、
「問題だと”感じている”」ことの方を解消する
(つまり問題解決ではなく、問題だと感じない様にする)
というアプローチもある。
こうした風に
「Aが問題だ!」に対してツッコミどころをいくつも持っておかないと、
問題に対して直線思考しかできなければすぐ手詰まりになるし、そうなると精神的にキツイ。
極論、将棋で詰んだとしても、
ていうか高さ方向に逃げれるじゃん、みたいな余白。
そういう、これがダメでも幾らでもやりようがある、という気持ちの余裕は持っておきたいなと思いますよね。
ちなみにこれは、問題文を正直に理解して唯一の正解を目指して真面目に頑張る、努力するという「真っ当な」過程では得られにくく。
如何にサボろうか、ラクしようか、
そういう自分とちゃんと付き合うことは大事だろうと思います。
あと、問題文は限りある文字数なので、いつも設定や状況は不十分であり
つまり明示されてない解釈の幅があるのだけど、
その余白を無意識に空気を読んであわせるんじゃなくて、
「ダメと書いてないんだからこれはやっていいよね」
という、したたかに利用する観点は持ってて良いのではと思う。
真面目や忠実のみだと、ほんと窮屈だよ。
書いてないから、許可されてない=やっちゃいけないんじゃなくて、
書いてないから、禁止されてない=やってもいいんだよ。
酸いも甘いも色んなことがある人生、余白持っとかないと。
とか思ってた。