すごく当たり前のことを、もっともらしく書いてみると、
それはそれで気づきがある。
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「ある」ということのみに焦点が当たり
「ない」ということが忘れられている感じ。
これは結構感じていて。
つまり
「ある」という概念の存在は
「ない」との境界を以て、初めて成立するわけで。
「ある」が優位なわけでは無く、
「ない」は等価で並列なもので、
言い換えると、
「ある」がある、
と同様に
「ない」がある。
と言えるかもしれない。
また、
「ある」「ない」は濃淡の話とも言えるかもしれない。
ある日あなたが目が覚めたら、
家具も模様も何もない、真っ白な四角い部屋にいたとする。
そうすると、アナタは
「何もない部屋にいる」
と表現するだろう。
しかし実は、この部屋には均一な濃度で空気がしっかり存在している。
次に、この部屋から出たとする。
あれれ、と思ったらそこは宇宙空間だった。
さて、部屋から飛び出して宇宙空間に浮かびながら、改めて外からその部屋を眺める。
すると今度は「中に空気がある」と表現するかもしれない。
この時の違いは、
自分にとって見えている、関係している範囲に限った、
濃淡の話だったりするわけだ(全て均質なら、無いに等しい)。
さて、
「ある」がしっかり際立つことは、
「ない」をしっかり成立させることと対になっている。
それを意識して聞いてみると、
話の名手の多くは、「間」と呼ばれる「ない」をしっかり使い
音楽の名手の多くは、「休符」と呼ばれる「音符」をしっかり演奏するのだ。
「ある」が絶対的価値創造である、
と思いやすいが、
それは「ない」との対比においてのみである。
従って「「ない」をキチンと成立させることに目を向けると、
違うものの見え方がする。
なんつって。