「無意味な争いをやめなさい」

という内容の社説があったど。
 
 
待ってまって。
 

当事者にとっては決して
「無意味ではない」
から、そこまでなってしまっているのだど。
 
 
無意味どころか、当事者にとってそこまでしても守りたい、手に入れたい大切な「意味のある」ものがあるから(もちろんその意味自体の是非はあろうけども)。
 

まず、入り口が間違っていると思うんだど。

で、
入口間違うと、出口もそこにはないのでありまして。
 

もちろん戦争にしろテロにしろ、そういうのは絶対嫌なんだけど、

彼らが自分の感覚とどう違い、

相手が何を問題視しているか、

何を大切にしているか、
 

まずそこに思いを巡らし理解しようとするスタンスから積み上げないと、
ダメです、おかしい、だから止めなさい、
では何も解決に進まないのだど。
 

理解に努め、冷静に、現実的に対処する、仕組みを変える。

せざるを得ない背景や、そうすることで得する何かがあるなら変更を試みていく。
 
 
なぜ、この小さな言い回しが気になっているかというと、

「やめなさい」と言いつつ、
そのスタンス自体が戦争の根っことすごく近いと感じるからだど。
 

他者は自分と違うかも知れない、
違うものを大切にしているかも知れない、

そうは考えずに、大上段から俺様の正義をズドーンと振り下ろす。 
 

「おかしいから止めなさい。無意味だから止めなさい」
 

こういう文章を読んで、染み込んでるスタンスに影響されてちゃうと本当に良くないよなぁと思ってたりしたんだど。
 
 
ピーマンが好きな奴もいれば、ピーマンが嫌いなやつもいるんだよ。

痩せてる人がモテる時代もあれば、太ってる人がモテる時代もあるんだよ。

沢山の人を犠牲にしてしまって大犯罪者になる状況もあれば、もっと沢山の人を犠牲にしたのに英雄になった状況があったんだよ。

 
俺様の正義は、人の数だけ、時代の数だけ、状況の数だけあるんだど。

対象が何であれ、それを神の裁きの様に振りかざす人にはなってほしくないなぁとか思い。


なんてな。