「地球に優しい」
これはめちゃくちゃ曖昧で、
誤りを含みやすい言葉だと思いますよね。
「勿体無いを解決すること = 地球に優しい」
というすり替わりも、あるような気がします。
確かにイメージ近いから。
地球に優しいという文脈の中で、
「副次的に取れてしまう魚なんだけど、利活用されてなくて捨てられていた。」
↓↓↓
「それがこんな製品として活用できることになりました!」
という話は結構ありますよね。
これは、「勿体無い」を解決し、生産性に繋げ、労力対効果(価値創造)の観点では効率的でエコ(economy)だろうと思うのだけども、
エコ(ecology)として考えたときにどうかというとよくわからない。
イメージが近いだけで、かなり飛躍した結びつけ、なのかも知れない。
畑で作物を作る。
その時に結構肥料をまくが、これは、作物をその場所から収穫し、つまり持って出ることによりその土地から必要な養分が持ち去られていってしまうため、別途肥料補充をするという意味も強い。
例えば近所の古い家になっている酸っぱいミカンの木が、何もしなくても毎年毎年たくさんの実がなる。
これは、そこで葉や実が落ち、とまった鳥がフンをし、そこで動植物が死に、土に還るからサイクルが回るわけで。
例えば生ゴミも、堆肥を利用すれば自然サイクルで微生物が肥料に変える。
話を戻すと、
仮に持続可能な環境を「地球に優しい」と表現するならば、
副次的に取れた魚の利活用する、つまりそのサイクルの場から持って出てしまうことは、余計なお世話だという可能性もある。
最後は燃やして灰になったり、埋められたりして、自然によるサイクルに戻りにくい形になってしまう(知らんけど)よりも、
目的でない魚は、その生き死にはどうであっても自然に近い形で海に戻る方が、その生態系の中の次の生命の営みに繋がるということはないか、という視点はあっても良いと思う。
ある場所での死は、その場所での次の生の源なので。
つまり死は、生態系の中に於いては決して終わりではない。むしろ始まりだ。
(クジラの死が分かりやすい例になるか)
冒頭の利活用が意味がないとか言うつもりは全くなくて、
何となくイメージで思考停止して、雰囲気で因果関係結びつけちゃてるものは結構多いのではないかなぁと。
で、封を開けてみると思ってることと違うことやってたり、てことがありえる。
釣りしたり、野菜を育てたり、
生き物に触れてると、色んなことを考えますよね。
ちなみに
「地球に優しい」も利他的に美しく聞こえるけど、
そもそもその概念自体がスーパー「利己」であり。
地球さんにとっては、優しいも優しくないも、ない。
(もし仮に地球が一個の生命であったとしても、地表面数kmで起きていることなど、生命活動にかけらほどの影響もない)
こういう綺麗な言葉は、綺麗なイメージであることに利用価値があるから、
そういうわけで総ぐるみで「神聖を守られる」。
この辺の曖昧な言葉に色んなものがラッピングされて
「神聖なものにつべこべ言うな」
という、考えて分けいることが悪だ無粋だ、みたいな思考停止圧力がかかる。
(そこに利用価値はある)
こういうのは結構あるから、気をつけとく方が良かったりする。
、、、のかも知れない。
という、アイマイな話。