久遠屋EGGMAN -21ページ目

ちょっと最近愚痴っぽいな^^;

2チャンネルは実はあんまり見ていない。


前はよく面白そうなスレッド見てケラケラ笑ってたけど


ここ最近はほとんど直接見ることはなくなった。


もうまとめブログで見るぐらい。


それでもあんまり面白いネタがない。



なんかエロとか排泄物とか批判的なものが多く


ものすごく程度の低いものばかりでがっかり。



それでもあの空気の読み加減やら


シュールなネタ、上手なつっこみ、鋭い観察眼など


知的な要素が多分に含まれていて面白かったんだけどねぇ。



とは言え、もっぱら傍観者で参加しようとは思わないんだけど


それでもあまりに稚拙で幼稚で頭の悪い感じものが多くなってきて


今のテレビと同じで面白くない。



昨日の笑い論とかポニョ考察じゃないけど


やっぱりどこか知的な部分がないとつまらない。


深みがないよ。


バカになるならとことんバカにならないと笑えない。


中途半端なんだよな。


ちんこだのまんこだのうんこだのなんだのって


いまどき小学生でもネタにならんよ。


もう幼児レベルだな。


つまらん。

本物の笑いというものを知らない人

笑いというものについて考えてみる。


http://www.222.co.jp/netnews/article.aspx?asn=23914


こんな記事を読んで久しぶりに頭に血がのぼった。



そもそも笑いというものは


悲しみ、哀れみ、など楽しい嬉しいということの反対を


いじることによって生まれるものと思っている。


悲劇があるから喜劇が際立つのであって


毒を排除した笑いは決して本質的な笑いではない。


ダウンタウンの笑いの良さにそこがきちんとあるから

笑えるのであって、悲哀を排除して作ったものには

何も面白みを感じ得ない。



光と影、陰と陽、正と負、水と油、有と無。。。。


相反するものが相対するとき生まれるものの素晴らしさは


筆舌にし難い。


単体だけでは見えてこないものが相反するものと掛け合わされたとき


得も言われぬ効果が出ることは周知の事実。


虚の上に成り立つものが真であり、真の上に成り立つものが虚である。




例えばコント55号。


この二人の掛け合いは一言で言うならばいじめである。


何も知らされていない二郎さんのあたふたした感じを


欽ちゃんが激しく突っ込み、これでもかというぐらいしつこくなじる。



続いてツービートや爆笑問題など。


これは完全に批判であり皮肉、タブーであろうが何であろうが毒づき倒す。


罵倒暴言誹謗中傷。


同じく人を馬鹿にしたり蔑んだり罵ることで得る笑い。



やすしきよし、いとしこいしなど。


ツービートが他人に対しての罵りあいだとしたらこれは二人の罵りあい。


互いの欠点をいじりバカにしケンカすることで生まれる笑い。



しかし漫才の基本でもある。


漫才のパターンとして、上記のように罵りあうもの


人の欠点を嘲け笑うもの、勘違いするもの、妄想するものと色々あるが


共通するのはいずれもそこに悲哀が存在する。


欠点を持つという悲しさ(ハゲだったり、チビだったり)


無知という悲しさ、メンヘラ的な悲しさ。


それを激しくなじる、いわゆるツッこむことによって


初めてそれが笑いへと昇華する。


だから笑いというものは非常に高度な芸なのである。


人を笑わせるにはそこに真実味が存在しないと笑えない。


つまりリアリティのある悲劇を演じることが出来るから笑いが生まれる。


悲しい演技で人を泣かせるのは役者なら出来るでしょう。


でも悲しい演技で人を笑わせることの出来る役者が一体どれだけいるのでしょう。


それだけ笑いというものは難しいんです。



ダウンタウンの場合は、もっと悲しさが存在する。


孤独、差別、死など非常に背景は暗い。


映画「大日本人」はまさにそれを具象化したものではなかったか。


差別にあえぎ、存在価値を見出せないにもかかわらず使命感には逆らえない悲しさ。


淡々と流れる時間の中に一体どれだけ単純に笑える要素があったか。


ほとんど皆無である。


前編通して訴えてくるのは主人公の悲しさだけである。


一言でこれを説明するのは難しい。


けれどもこの映画は記事を書いた人が言うように人を傷つけない優しい笑いだったか?


そもそも人を傷つけない笑いなど存在するのか?


そういう笑いを見たくないのならいっそ教育テレビでも見てればいい。


いい人ぶった偽善な番組でも見てればいい。



こういう記事を何も考えず書くからどんどん笑いは薄っぺらくなり


テレビは面白くなくなっていく。


エンタやレッドカーペットなどに出てくる芸人の何と浅はかで薄い芸か。


そこには何の知性も背景も思慮深いものは存在しない。


つまりそれは芸なんかではない。



今年の27時間テレビでたけしがさんまと岡村の車にペイントして


今田を轢いてしまうシーンがあった。


思ったとおり否定批判するものが出てきた。


何を言う。


これの何が悪い。


久しく見なかった、無茶をする、笑いの真骨頂ではないか。


昔は笑いも激しく無茶で面白かった。


腹の底から笑えた。


このとき、さんまや岡村、今田は怒っていたか?


もしこれを本気で怒っていたならそいつは芸人を辞めたほうがいい。


見ていて思った。


彼らは心の底から楽しんでいた。


そして芸人としての激しい戦いがそこにあった。


プロとしていかに面白くするか、いかに無茶をするかのせめぎあいが


見ていて非常に面白かった。



水曜どうでしょうが面白いのも、罵りあい、なじり、いじめがあるから面白いのであって


もしそこに何のいじりもなかったとしたら、それは単なる旅番組である。



記事にあったリンカーンのシーンも


久しぶりに見た無茶で、同じようにやられていた3人は楽しんでいた。


むしろこういうものに参加出来て心底嬉しかったかのように、彼らは笑っていた。


これがもしひどいことをせずに人を傷つけたりしなかったら?


断言してもいい、絶対に面白くなかった。



だからこの記事を書いた人は笑いというものをまったくわかっていない。


上っ面だけで深く考えもせず自分の思ったことをただ書き綴っただけ。


ただの個人の感想。


それを記事として公表することに心底腹が立つ。



あともうひとつ言っておくが、いじめられているのを笑えるにはある条件がある。

いじめているほうもいじめられているほうも楽しんでいる、ということ。

つまりそこに笑いというものが前提にあった上でのいじめなので

人はそれを見てわかっているからこそ笑えるのである。

だからこの記者はそれすらもわかっていない愚者であることは一目瞭然の事実。


嘘を嘘と見抜けない、ただのバカである。



だからこういう奴のように、何でもかんでも危ないなどというから


道はどこもガードレールが埋め尽くし


至るところに看板が乱立し


物を買えば注意書きで商品が埋まり


インターネットでは規則やら何やらでがんじがらめ。


学校は保護者の言いなりになり


テレビの字幕は言い訳ばかり。



バカじゃねーの?


自分の身は自分で守れ。


自己責任だよ。


過保護になりすぎている。



本当つまらん国だ。



真理の扉を開くにはとある鍵が必要です

仕事とか自分の創作をしているうちにあることに気がついた。



自分でセンスがいいほうとは思わないが、こんな僕にだってひとつのこだわりがある。


リアル感。


それがそこにある訳、それが存在する理由、どうしてそうなるのかを


基本ベースで考えます。


そうするとたった一つの物でも意味が出てくるのね。


誰かがここでこれをしたから今がある。


そう演出したいわけ。


絵でも音楽でも何でもかんでも。



例えば絵なら、人がこう動いたときどのように筋肉が動くのか、


あるいは光がこう流れているなら影はどう出る、


風の向きは、波のうねりは、土の成分は、服の素材は、などなど。


まあ基本っちゃー基本だけどね。



音楽なら、この歌詞には別の意味が隠されているとか


一連の流れで読み解くと真実が見えてくるというか、


あるいはそのメロディの流れ方、歌詞の語呂、リズムの意味など


ひとつひとつ意識して作ると味わい深いものになるんじゃないかと。


まああんまりぐちゃぐちゃ考えずに勢いで作ったほうが


いい場合もあるけど(笑



こないだからポニョ関連のことばっかり書いてるけど


それほど衝撃的だったんです。


それもあの考察を見てから。


いかに自分が浅はかな物の考えをしていたかを。



物事にはすべて必ず理由がある。


だからかっこいいからとか面白いからとかだけでは絵にならない。


背景をきちんと設計しているからこそリアル感が出て深みが出てくる。


裏づけ、これが重要。



きちんとしたテーマ、コンセプト、プランニングがしっかり伝わるようにしないと


ただ置いてみただけのものになってしまう。


だからといって演出の押し売りはいけない。


よくアーティストが「これは何々を表現してみました」と言っているが


果たしてそれは伝わっているのだろうか。


心に響いてくるのだろうか。



一見意味不明なものでも深く見るとそこに隠された本質。


真理の扉を開けるぐらいでないと真実味が生まれてこない。



だから人がどう言おうと僕は僕の思想を深めることにします。


まだ宮崎監督のような境地には全然辿り着けない、というかまだ本質を見抜けない


本質を突けない愚かなものですが、より知識を身につけ、より豊かな表現ができるように


自分自身思慮し真理の扉に辿り着けるよう勉強してみたいと思います。




なんだか宗教じみてるなー(笑