学校にはたくさんのミッション系スクールはあるけど、クリスチャンは1割もいない。
そんな日本人は、宗教的に賢明なのです。
信仰を冒涜しているなんてことじゃなく。
日本人にとってキリスト教が精神的にしんどいところは一神教であるというところ。
芥川龍之介の小説「おぎん」で論破されています。
「キリスト教でなかったお父さん・おかあさんに死んだら会えるのか?」のおぎんの問いに牧師は当然、
「キリスト教徒でなかった人は地獄にいるから会えない」と答えます。
だったら、会える今のまんまでいいとなる。
イスラム教も厳格すぎて、日本人には合いません。
信心深かすぎて、お祈りの時間がもったいない。
だからって、その宗教をばかにしたり、攻撃することはないのですが。
大事なことは、世界中の人々が、キリスト教やイスラム教なしでは生活できないほど信仰してるってこと。
精神のよりどころをここに求めているのです。
日本人は、別に厳格にお祈りすることもなく、宗教的にすでに「救われている」ことを知っている。
土地があるから作物ができる。即ち土地に神が宿る。自宅を建てる時に地鎮祭やる人も多いもんね。
樹木にも神が宿る。切っちゃいけない木は全国にあって道路がわざわざ曲がってる箇所もあちこちにあります。
川の神様。太陽の神様。山の神様
こういったオールスター神さまが、自分の暮らしを成り立たせていると知っているのです。
要するに「自分は生かされている」「愛されている」をしっている。
ここが精神的にすんなりいってるのは、日本人は宗教エリートといってもいい。
「自分は神に見放されている」って感覚を持ってる人が少ないのです。
極めつけは、天皇陛下のご存在。
東日本大震災のとき、陛下が被災者のお見舞いに回られました。
ある被災者の方で、家族を全員失った。
もう生きてても仕方ないと考えていたそうです。
陛下のお言葉を頂いて、もう少し頑張ろうと決心しました。
その方いわく「どんな言葉だったか思い出せない。ただ、愛されてると感じた」んだそうです。
ジーザスクライストは、処刑されることによって、世界に愛をしめしたわけですが、
天皇陛下は、なんと2000年以上、子孫でつながって生きておられる。現存するのです。
これはめちゃめちゃ「贅沢」なこと。
今年もあとわずか。
いい年を迎えよう。