幸福の科学についての私見や雑感を元にし述べてまいりたいと思います。



まあこのブログのすべては雑感ですが。



おもに、原点編と世界編と宇宙編と、その他に分かれますが、あとから分けているので正確ではありませんm(._.)m




まず幸福の科学の仕事を現代人にわかるように説明するなら、


宗教の間違ったイメージを解き、


この世界と人間の存在の大前提を説き、


そして幸福を求める者(事実上、全人類)に対し、幸福とはなにか、幸福になる方法論を伝えていく、


のが役割だと思います。






1.原点編


・「ノスタラダムス戦慄の啓示」はなんだったのか?


私は3.4年前から幸福の科学の本を読み始めたので、「なぜこの教義内容で30年以上の歴史でこのレベルなのか?」がずっと気になって、折にふれ調べていました。




幸福の科学製作映画で100万人動員されたらしい「ノストラダムス戦慄の啓示」もひとつのターニングポイントだったのかなあと思いました。そのあと100万人動員は出ていないみたいなので。


本は読み、映画はまだ見ていない状況ではありますが、本を読む限り、そこに書かれた予言の大半は外れています。世界半壊くらいの内容でした。 





勢いと焦りを感じる内容です。

危機を煽って世の中をリードしようとしているようにも見えるかもしれません。




あくまでも「人類が目覚めなかったら、幸福の科学が機能しなかったら」という前提での予言内容で、「一部、目覚めた、救世主が生涯、法を説けるまでに一応、機能した」から猶予期間を与えられたという好意的解釈は一応できます。




21世紀末なら、そこそこ当たるかもね(T ^ T)


異常気象や火山の噴火、世界中でも地震はいろいろ出て来ているし、北朝鮮や中共(分裂や内戦もふくめ)が核を維持したまま延命するなら核を用いてなにかする可能性は十分あります。





それでも「勝負手の反動」のようなものはあったんじゃないかなあとも感じますね。


映画は本とは、また違い、仏法真理の世界観を凝縮したような詰め込みまくった映画のようにもウェキの説明の限り感じましたが。



解釈ミスまではともかくシミュレーション結果の伝え方がストレートすぎた感はあります。


予言が当たったら不幸の中の幸として、それを機会として真理を広げ切る、外れたら外れてよかったんだから問題はない、プラス要因が大きい、みたいな若さあふれるご判断が、当時の教祖および僧団あったのかなあとも思います。







この世の存在目的は、愛の表現場と魂の修行場を兼ねているので、


唯物論優勢の中で正しい信仰を持ち高めるのは、各自の魂修行にとって最大のチャンスでもあるから、

せっかくの修行場をつぶすのはモッタイナイ。



つまり、この世を作られた存在や意味を根本から納得するレアな機会。



天災中心より、各自の魂の成長とできるだけリンクして法は広がるのが理想プロセス。



だと思うので、ちょっとスピードを重視しすぎたかと思います。


これらは結果論でもありますが、当時、中高生の私でも感覚としては、似たことを感じたはずです。天地の理法としても極端だし、

「地球神はそこまで焦らないはず」と。







・信者とは?


もう一つの疑問は「信者数公称1000万人」というものですね。

当時、1000万冊の根本経典を実際に日本中の人に手渡しをされたのなら、それだけでも恐ろしい情熱ではあります。


結局、「信者」の定義次第なのですが、

1000万人の信者数なら選挙と映画動員は楽勝なはずではあります。イメージ的に。


信者といっても必ずしも信仰が立っているわけではないのかなあとも思います。

これは神社でも仏教でもかなり言えますが。


それとは逆に、

神社に参拝された人が「神道の信者」とカウントされるなら、幸福の科学の映画や演劇を見た人は、なぜ真理芸能支援信者などとカウントしないのか?、

逆に疑問です。次の年からは、「新しく映画に来た人をプラスする」のでもいいんですが。


教団のプロフィールに直結するという認識はあったほうがやる気ある信者さんはさらにやる気出やすいかもですね。


ノストラダムスや信者数の件では、一気に行こう感が見えました。信者数は会員数や動員数を基準にして徐々に増えていく感で、徐々に山を登っていく方向性もあったかもしれません。


スケール、大きくすりゃいい、(正しく)願えば神仏が叶えてくれる面を重視、強調した流れだったと思います。ならば願い方や願う力の養成は撤退したか?というのもありますね。



脱線しました。



「ノスタラダムス戦慄の啓示」に戻りますが、教祖や僧団の方をグサグサ刺す意図はあまりないのですが(ちょっとあるんかい)、


これを逆用できないのかなあと思うところはあります。




「さらば青春、されど青春」は開祖、大川隆法氏の個人の幸福の科学前夜の物語だと思いますが、第2弾、立宗からフライデー事件、オウム事件、ノストラダムス戦慄の啓示あたりまでの、教団運営物語を描けばよいのではないかと思います。


運営の反省面やノリで行きすぎた面もできるだけ素直に描きます。

オウム事件や関西大震災で活躍された面ももちろん描きます。




教団初期からがんばられてこられたベテラン信者さんたちにとっての青春映画にもなるのではないでしょうか。


理解されない苦悩があるならば、それを映画で見せ場として描くのみ。


信仰継承にも、外部への理解、経営者、宗教者にとっては他山の石的な学習用としても使えます。




今後のためにも「幸福の科学をきちんと知るならこの映画」という一本はあっだほうがいい。


法話は眠くなるリスクがあります。


ラストシーンは、幸福実現党宣言の法話からの、大川隆法氏出馬時の衆院選の街宣でシメ。  




なぜ宗教が政治をやるのか?というのもテーマの一つですね。これが政教分離論者への回答だ。

あんまり難しくならない程度に( ̄▽ ̄)



どうせやるなら今回の映画が認められ一般芸能界の人気役者が出演されたら勝負に出やすい。(同じく勝負手なんかいっ)


映画即政治活動の域に達し、教勢を一つに束ね総力戦を仕掛けます。











厳密には、ちょいちょい、


ブッダを謗ってるかもしれませんけどね。






ごめんなさい、功徳はあきらめまするm(_ _)m