3、「消費社会の神話と構造」ジャン・ボードリヤール
著者はフランスの思想家です。記号論の社会への応用かな。
※「記号」の説明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%98%E5%8F%B7
「「物」の消費は物の機能や効用による使用であり、「モノ」の消費は社会的地位などを誇示する為に、あるいは自分らしさや幸福・美の雰囲気に浸るためにモノを記号的に消費することである。」
「人々はモノをその使用価値において消費するのではなく自分を他者と区別する記号として消費しているのである。」
・ファッションに当てはめて論じる
現在のファッションは大体この状態だと思います。
例えば「どんな感じのファッションするのか?」、
消極的な方向から考えれば、自分の属しているグループはどんなファッションをしていれば溶け込めるのかとか、浮き過ぎないのか、嫌われないのか、の要素を考えてどういう服を選べばいいのか、
積極的な方向では自分らしさを出すため、かわいい、カッコいいと思われるため、楽しむためにどういう服を選べばいいのか考えることはまさにこれらの文章が抽象的に物語っています。
物質的に豊かになったというか豊かになりすぎたゆえにこういう状況になっている面も大きいと思います。物資が過剰なのかもしれませんね。ありがたいんですけどね。ありすぎて困るみたいな。欲望には限りがないみたいなので(意思や性格において個人差もありますが)。
じゃあ途上国など、機能や効用としての服が足りないところに回せばいいというと、それはそれであまりならないという・・・
記号の合成としての個性
「記号を吸収し記号によって吸収される消費過程では「魂も影も分身も鏡に映った像も失われてしまった。存在そのものの矛盾も、存在と外観の対立もない。記号の発信と受信があるばかりだ」。人格や個性は、記号の組み合わせであるから個(個性)は消滅する。」
・ファッションに当てはめて論じる
テイストミックスというコーディネート手法の説明かと思いました。記号の組み合わせ以外のなにものでもありません。スポーティな記号(ジャージとかスニーカー)とガーリーな記号(フリルやレースの服)などを合わせるとか。
(ワンテイストのファッション、例えばギャルのファッションを作るために今のギャルのイメージを出すデザインやディテールの服を組み合わる、という説明もできますが)
「人格や個性は記号の組み合わせであるから個は消滅する」という点に関しては、私はそう言いきってしまうのには反対(本当は原著を一通り読んでから反論すべきなのですが・・)で、ファッションの場合は組み合わせ方により返って個を表現するということも十分にあります。その人の合わせ方自体が「個」になります。
「昔は、物や情報が少なかったから個すら表に出せなかっただけ」、「個人の表現手段に言葉、仕草、体格、など以外にモノという要素が増えただけ」などの指摘もできます。
(ファッションとしての「個」は出せても人間としての「個」は出せていないという指摘もあるかもしれませんが、人間性においては「個」と同じように「協調」も重視されます。「個」を出すことが必ずしも人間の成長と結びつかないと思います。出し方の問題という面も存在すると思います。)
それでも「多くは流行ものや定番ものを組み合わせているに過ぎない」、または「記号を組み合わせること自体が流行なのだから個は消滅している」という見方もできなくはありませんが、実際に現在、流行にあからさまに流されている人はほぼ皆無だと思いますし、流行自体が昔に比べ、強いもの、ではなくかなり分散し、その重要度も低下してきています。
それに最近は、「キャラに合ったファッション」、「(ディテールにこだわりつつも)シンプルなファッション」、「流行や時代にとらわれず長く着れる本物のファッション(定番ものの権威付けのような気もしますが)」などが評価されつつあるので、またこれからファッションの方向性も多様化(生成、進化、集合、分裂、消滅、アレンジされての復活)はし続けながらも変わっていくかもしれません。
ただしそれらすらも「着る人のキャラクターに合わせる」ということ自体が知らず知らずのうちに自らを演出して記号化している、「(長く着るから)エコ」「シンプル」や「本物」というのも記号の一つだと言われたら、もう全てのファッションに関する概念が記号となってしまうので、それはもう手に負えません、笑。
「キャラクターに合ったファッション」はモノと人格の一致を試みる動きともとれますし、「シンプル」、「エコ」、「本物」(オーガニック素材のことなども含めます)はモノの機能への回帰、しかも地球規模の機能を考慮しているファッションでもある可能性を秘めているとあえて希望的な観測でまとめておきたいと思います。
とにかく物質的に豊かになり自己表現の手段が広くなったがその分、迷いや手間が増え、負担、ストレス(極める必要はないが一定レベル以上のファッションをしておかないと異性や属している集団から見下されることがある)などもかかるようになっていると言えるでしょう。
そう簡単にものごとはプラスばかりに働かないもののようです。
「ある日、突然、氾濫と解体の過程が始まり、(中略)黒ミサならぬこの白いミサをぶち壊すのを待つことにしよう」
黒ミサならぬこの白いミサ云々、は著者(原著のほう)の例えで、現在の、魔術のように記号を消費する社会が変わる日がいつか来るであろうと言っている訳ですね。
社会もですけどファッションはいつどのように変わるんでしょうか?
っていうか私のファッションへの興味が先になくなってるかも。
