「ブランドの世紀」書評



今回も書評です。フランス文学者の山田登世子さんの著書から。



「カワイイモノたちは小さな神」


(「カワイイ!」と叫ぶ女子高生や女子大生、OLなどを現代の偶像崇拝主義者と評してました)





「メディア社会は偶像崇拝が盛んになる社会」


(メディアが偶像を作るということですね、過去は政治的に英雄や独裁者が作られましたし、現在でも主に芸能界、ファッション界などで日々、偶像は作られて消えていってます、というかメディアや芸能事務所はそれを作るのが商売というか)





「偶像はチープにポップになっていく」


(メディア媒体の数が増えて散らばる分、より小さく、身近なものになっていく傾向はあるかもしれませんね。英雄や偉人→文化人→スポーツ選手→俳優→アイドル→読者モデル、みたいな)




「モード雑誌に書かれているからこそ特権的なきらめきを放つ」


(モード雑誌が取上げる事自体に価値が生じるという事実はありますよね、どんな理由で取り上げたにせよ「権威に取り上げられた」という一点に価値があるというか)





「メディアで語られ、口コミ、で語られる実態のない夢のざわめきがブランドの魅力を作っている」


(要は実体のない情報や噂ですよね、そこからイメージが作られてルイヴィトンやらディオールやらを買いに行くというか。ヴィトンの鞄を凄く冷静に自分の感性だけで見つめるように眺めてみると、いいとは思っても「これで20万かぁー」って思いますけどね、給料の約一か月分ですよ、笑)




「既製服がモードを殺すと良く耳にする、けれどモードは殺されることを望んでいるのだ。モードはそのためにこそある」


(モード、流行は次から次に変化していくからこそ常に市場は維持されるという意味でしょうか)




「(ルイヴィトンなどのブランドはフランスやイギリスでは貴族階級のみが買って労働者階級は買わない。)大衆消費社会の日本はそんな正統的ブランド観をなし崩し的に風化させてしまったのではないだろうか」


(私自身はブランドをほとんど買わず古着や安いブランドを利用してますが、日本人、特に日本女性のブランド志向について特に反対ではないんですよね。日本には日本人のブランド観や使い方があると思います。それにいわゆる中流家庭やちょっと貧乏な家に生まれたとしてもバッグ一つ持てばセレブぶれる、まではいかなくても少なくともまず貧乏には思われない訳ですから、そういう心理的な効果もあるのではと)




「(ブランド)商品をその歴史的、文化的コンテキストから抜き出してランダムに消費する性癖をすっかり身に着けてしまった」


(前と関連してますが、でもほとんど買うのは鞄と財布だけですよね?そこはしっかりとブランド依存の仕方も割り切ってるなと思いますけどね、鞄と財布は絶対にヘビロテですから、笑。

ルイヴィトンやプラダやクロエなんかの服を買う人ってほとんどいないでしょうし、いるとしてもファッション関係者や一部のマニアや裕福な人がほとんどだったり)



以上です。



ただアマゾンを見たら売ってなかったです。



↓は同じ著者の書です。

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