久しぶりに更新することにする。

現在、私は某大学の歯学部に通う。このことが私の本意ではないことは先のブログに書いたとおりだ。最近、その思いがますます大きくなっている。大学を辞めたい。1日に何度もそう考えるようになった。

授業中にも関わらず大きな声で談笑し続ける者、失礼なこととも分からずにスライドや黒板を音を立てて写真に撮ることを厭わない者。(全員ではないにしても)学部にそういう学生が多い。まだ大人になっていないのだろうか。しかし自分が彼らと同い年の時、そんなことも分からなかっただろうか。

自分の通う学部や大学のレベルが低いとは思いたくない。思わざるえない。
他の大学もそうなのだろうか。国立大学や他の学部もそういう雰囲気なんだろうか。

また自己嫌悪が始まる。私の頭がもっと良ければ・・・。もっと勉強していれば・・・。
悩む。
このままでいいのだろうかと。

大学を辞めたい。
しかし、そんなわけにはいかないことは自分が一番分かっている。この年齢になってもう一度浪人なんてできないし、そんなお金を親に払わせることなどできるはずもない。
ここで、今の現状で頑張るしか道はないのだ。

耐えられrうだろうか。あと5年間。
大学の授業で先生からある言葉を教わった。

Try not to become a man of success, but rather a man of value.
成功する人間になろうとせず、価値ある人間になろうとしなさい。


アインシュタインの言葉だそうだ。

私は医学部に入りたかった。そのために浪人もした。そのことを考えると現在歯学部に通う自分の人生は失敗である。私はこれに悩んできた。親にあれだけお金をかけてもらいながらこの様かと自分を呪った。

アインシュタインはこれを否定する。価値ある人間になれと。

価値ある人間とはどのような人間だろうか。分からない。
自分に価値などないと思って生きてきたからかもしれない。

医者としても有名なアルベルト・シュバイツァーは言う。

The true worth of a man is not to be found in man himself, but in the colours and textures that come alive in others.
人の本当の価値というのはその人自身から見出す事はできない。それは周囲の人々の表情や雰囲気の中にありありと浮かびあがってくるものだ


人のために何かすることが価値のあることなのだろうか。周りの人に認められることが価値のあることなのだろうか。

哲学者のフロイトは言う。

One day, in retrospect, the years of struggle will strike you as the most beautiful.
いつの日か過去を振り返ったとき、苦心にすごした年月こそが最も美しいことに気づかされるだろう


その日は来るのだろうか。
また悩む。
いつか来るその日を信じ、また勉強机に戻る。
久々に更新することにする。

大学の先生から歯科医師国家試験の話を聞いた。入学してから留年せず国家試験をストレートにクリアする学生は全体の50%だということだ。

つまり、学生の半分がどこかしらで躓くのだ。

留年…。国試浪人…。
大学浪人を3年した私にとって恐怖以外の何物でもない。
もちろん、しっかりと勉強すればそんなことにはならないわけだし、2年生の時点で国試浪人の心配をしている学生など全国でも私くらいだろう。

しかし、私は何度挑戦しても弾き返される恐怖を知っている。
世間では「叶わない夢なんてない」なんてことを言う人もいるが、それは成功した人が言っているだけであって、そういう人からすればその通りであろう。世の中には夢が叶わなかった人の方が多いに決まっている。
また、親に迷惑をかけてしまうのか…と無形のプレッシャーが私を襲う。

もう失敗できない。もうあの恐怖や惨めさは味わいたくない。

無事に6年生になれるのだろうか。国試に受かるだろうか。
そもそもそれまで私は生きているだろうか。

悩む。悩み過ぎて頭が痛い雨の午後である。
私は普段、テレビを観ない。浪人時代に予備校の寮にテレビが無い生活が続いたのでいつの間にか習慣が無くなった。大学生になった今でも一人暮らしの部屋にもテレビは無い。

そんな私が最近YouTubeでタレントさんに心を大きく動かされた。
百獣の王・武井壮である(敬称略)。

武井壮は自身を「百獣の王」と称し、実際に最強になるために身体を鍛え続けている。私はそんな武井の前向きなメンタルに感銘を受けた。特に印象的だったのは武井が一躍脚光を浴びることとなった中居正広MCの『うもれびと』での一幕である。
武井はその番組の中で、氷水の入ったバケツに足をつけ3分間耐えられるかという無茶ぶりをされるのだが、武井は52秒しか耐えられずこれに失敗してしまう。もし自分が武井の立場だったら失敗したことを悔やみ落ち込むだろう。たとえこれがシャレだと分かっていたとしても、だ。
だが、武井は違った。彼の言葉に衝撃を受けた。

「52秒?自己ベストです!」

どんな失敗しても自分なりにベストを尽くしたのだからこれは自己ベストである。たとえテストで悪い点数を取ってもベストを尽くしたのだからその点数は自己ベストなのだ。
この言葉だ!と心の底から思った。天啓だとさえ思った。

思えばこれまでたくさん失敗してはどんなに些細なことでも極限まで落ち込む人生を送ってきた。過去を振り返ってはあの時こうしていれば…。あそこで違う選択をしていれば…。いつもそう考えては落ち込んでいた。
でも、この言葉があればその必要はない。どうしてできなかったのだろうと落ち込むのはやめよう。

また、武井はMCの「これはできるか?」という問いに必ず

「できます!EASYです!」

と答える。
「できるかな?失敗したらどうしよう」そんな言葉を聞いたことがない。

私はすぐにこの言葉を真似して使ってみることにした。
私は趣味でボルダリングに行くのだが、一緒に行く上級者の方に「このコースできる?」と問われる。今までの自分であれば「できないかもしれませんがやってみます」と答えていた。
そう答えることで予防線を張っていた。失敗しても自分はまだ初心者なので、と言い訳をして始めていたようなものだ。当然できるはずがない。自分でできないと言い聞かせているようなものだからだ。
武井ならば言うだろう。「EASYです!絶対できます!」と。
私も言ってみた。いい意味でプレッシャーがかかる。成功してやるという気持ちが生まれる。腕が苦しくなろうが握力が無くなろうが自分に言い聞かせる。「こんなものEASYだ!」
そして、成功することができた。
小さな成功だが自分にとっては大きな一歩のように思えた。久しぶりに達成感を感じることができた。久しぶりだ。忘れかけていた。

また、「武井さんにとってどういう事が負けなんですか?」というスタッフからの問いかけに対する武井の答えは実に素晴らしかった。この考えを自分のものにしてやろうと思う。

オレにとっての負けっていうのは誰かとの勝負とかどっかの記録との勝負じゃないんだよね。
今日の自分を明日の自分が上回っている、成長できるかどうかがオレの本当の勝負だから。
今日悔しいレースしてそのまま部屋戻って悔しいって言いながら横になって寝てたらオレは多分今日のままだし、だから今日レース終わったあと悔しさが抜けねーから、全力で走って明日のオレが今日より成長できてるとそう確信できるから。
それがずーっと続いてる限りは勝ちだから。オレは絶対に負けないっすよ、その勝負にだけは、対自分との勝負だけは。
365日、365戦、365勝!勝ち続けてやろうと思ってますよ。


365日、365戦、365勝。
私も目指してみよう。今度こそ負けない。負けるもんか。
友達と遊ぶのも好きだが、私は図書館で本を山積みにした机で片っ端から読書するのもそこで勉強するのも好きだ。
だから、長期休みの今は予定が無ければ図書館に入り浸っている。

午後4時になると地元の高校生たちが勉強に来る。
私は彼ら(彼女ら)を見ると非常に空しい気持ちになる。
もうあの頃を思い出せないのだ。

卒業から4年。今頃、自分と同い年の連中は就職活動に明け暮れていることだろう。私はまだ2年生。歯学部は6年制なのであと4年かかる。ますます情けなくなってくる。
周りが自立していく時に、親に借金をしてまだスネをかじって生きている。
早く自立したい。

先生などの自分より年上の方たちは、(浪人した)3年なんて短いものだというが果たしてそうだろうか。そう思える日は来るのだろうか。

高校生を見ていて思うことがもう一つある。
自分は当時、彼らのように勉強していたのかということだ。浪人したぐらいだからそれ相応にしかやっていなかったと言えばその通りなのだが、それにしては遊んだ記憶もない。
オーケストラ部に所属し、毎日のようにチェロを練習していた記憶はある。しかし、それさえも夜遅くまでみんなで残って練習したなぁ程度の記憶だ。

今振り返ってみると、高校時代は何事に関しても本気になっていなかったのだと思う。勉強も中途半端。遊びも中途半端。部活も中途半端。
勿体ないことをしたものだ。せっかくの高校生活をもっと満喫すればよかったと思う。

後悔しても遅い。過ぎてしまった時間は戻ってこない。
今を楽しむ。そうだ。今を、この一瞬を楽しむのだ。
友達を今よりもっと作ろう。
5年後、10年後、また会いたいと思えるような友達を作ろう。