ウィーン市庁舎のアドベント・カレンダー
お久しぶりです!
怒涛のような仕事の嵐が少し一段落し、ようやくブログを書こうかなという気になってきました。
昨年11下旬から12月初にかけて、妻とともに3回目、コロナ後初のウィーン旅行をしました。
初めて真冬のウィーンを体験し、初めてクリスマス・マーケットを見てきました。
ライムント劇場でウィーン・ミュージカルも初めて観ました!
といったお話を書きたいのですが、1・2回目の旅行記のように旅行の行程に従ってまとまった量を書こうとすると大変なので、少しエッセイ風に1回1回気楽に書いていこうと思います。
初回は、前置きのようなことをゆったり書きます。
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コロナ禍直前の20年3月に2回目のウィーン旅行に行き、その後家族全員でコロナにかかったりしながら、夫婦で「またウィーンに行きたいね」と機会をうかがっていました。
これまで見ていないウィーンとは?…クリスマス・マーケットだ!ということで夫婦の意見が一致。…どちらかというと妻の意向が強かったかもしれませんが。
クリスマス・マーケットの開始時期と仕事の繁忙を慎重に検討し、ウィーンのクリスマス・マーケットはドイツより早く11月下旬頃から始まることから、11月下旬に狙いを定めました。
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ウィーンへの往復で様変わりになったのは飛行ルートです。
一つはコロナの影響で国際便が減便され、ANAのウィーン直行便がなくなったこと。このため今回はフランクフルト経由になりました。
もう一つはロシアのウクライナ侵攻の影響で、飛行ルートが往きは北極回り、帰りは中央アジア回りになったこと。世界一周っぽくなって楽しかったですが。
このため往復の時間がかなり増え、前2回はウィーン4泊だったのが、今回は5泊にしました(実質観光時間は変わりませんが)。
それと、円安や諸物価上昇でかなり旅行代がかさんだのは痛いところですが、こればかりはしょうがないですね。
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実際に行ってみると、真冬のウィーンは寒かった!
行く前は、1・2回目に行った3月より少し寒いくらいかな?と思っていましたが、11月末のウィーンは寒いこと寒いこと!
凍るような雨がしとしと降り、リンゴやベリーの入った温かいお酒「プンシュ」を飲んで体を温めました。
妻は子供用のキンダー・プンシュ(ノンアルコール)かホット・チョコレートでした。
訪れたクリスマス・マーケットは、市庁舎前、シェーンブルン宮殿前、マリア・テレジア像周辺、シュテファン寺院周辺といったところです。
ウィーン市庁舎のクリスマス・マーケット
冒頭のアドベント・カレンダーと同じ風景ですね!前回来た時には市庁舎は工事中でしたので、今回が初訪問です。
シェーンブルン宮殿前のツリーと管楽演奏
寒空の中、シェーンブルン・イエローを背景にしたミニコンサートがクリスマスの神聖で楽しい雰囲気を盛り上げていました。
シュテファン寺院周辺のクリスマス・マーケット
様々な色にライトアップされたシュテファン寺院は、いつもの荘厳な雰囲気とは違う華やかさでした。
そのほか、ライムント劇場でウィーン・ミュージカル「レベッカ」を観たのと、ウィーン音大やナッシュ・マルクトに初めて行ったのがトピックスでしょうか。
レベッカ上演前のライムント劇場
たまたまこの時期にウィーン・ミュージカル「レベッカ」が上演されていたので、思い切って観にいきました。
ウィーン音楽大学
本編でゆっくりご説明しますが、最近、妻がウィーン在住のピアニスト石井琢磨さんの大ファンとなり、聴く音楽もクラシックに侵入してきています。琢磨さんが卒業したウィーン音大のほか、琢磨さんゆかり(おすすめ)の地にいくつか行ってきました。
ナッシュ・マルクトの青果店
ナッシュ・マルクトの名前は聞いていましたが、今回初めて行きました。いろいろなものが安くて気軽に買え、お土産選びにも食料調達にもいい場所ですね!
ハプスブルク関係では、王宮礼拝所、王宮宝物館、国立図書館、王宮家具博物館、馬車博物館など、今まで行けなかったところにも足を運ぶことができ、見応え十分でした。
前回は帰りのANA直行便が欠航になりミュンヘン経由で帰ってきましたが、今回は帰りのフランクフルト乗り継ぎが30分の余裕しかなく、長い長い連絡通路の歩く歩道を死ぬほど走りました。今となってはいい思い出というほかありませんが…。
フランクフルト空港の地下連絡通路
ユーロ域内線と国際線を結ぶこの果てしない通路の両脇には動く歩道があり、帰りは汗だくになりながら走りました。
人は走っても荷物は走れず、スーツケースは羽田便に乗り遅れて羽田から宅配便での翌日配送となりました。それはそれで帰りに荷物がなくて楽でよかったですけどね。
帰りに一波乱あるのが我が家の海外旅行の通例になりつつあります。
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初回のブログはマーケットで買ったマグカップなどお土産の写真をいくつか載せようと思ったのですが、結構文章が長くなったので、次回にします。
ここで、冒頭に載せたウィーン市庁舎のアドベント・カレンダーについて、少し解説しておきます。
アドベント・カレンダーとは、カレンダーに1~24までの窓があり、12月1日から窓を1日一つずつ開けてクリスマスを指折り数えて待つ、というものです。
市庁舎の絵に細かい窓番号がたくさん打たれているのが分かりますでしょうか?
実はこのカレンダー、ウィーンで買ったものではなく、帰国後に妻が銀座の教文館でクリスマスグッズを探していた時に見つけたものです。
見つけてびっくり、喜んで何枚も買ってきました。
今回は12月初に間に合わなかったので、今年のクリスマスから使うことになると思います。
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初回は簡単な予告編だけになってしまいましたが、少しずつ書き進んでいきたいと思います。
【今日のBGM】
ベートーヴェン 交響曲第1番
クルト・マズア指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管
・ウィーンの音楽家の中に、言わずと知れたベートーヴェンがいます。最近、NHKの「クラシックTV」でベートーヴェンの初期のアグレッシブな姿が紹介されてとても面白かったのですが、それで思い出したのが交響曲第1番です。
・クラシックTVではピアニストの清塚信也さんがピアノソナタ第1番冒頭の先進性を紹介していましたが、オーケストラ曲でいうと、交響曲第1番の冒頭はまさに先進的でしょう。この曲は「ハ長調」なので素直で癖のない曲かと思えば、冒頭からいきなり意表を突く不協和音が響きます。主調でなく下属調の属七和音。ギター風に言うと「C」の曲なのに「F7」から曲が始まるのです。
・以前から「変な始まり方」と思っていましたが、クラシックTVの解説を聞くと、この冒頭は、ウィーン音楽界に殴り込みをかけたベートーヴェンの交響曲における最初の一撃だったのかもしれませんね。全体に見れば若書きの颯爽としたさわやかな曲ですが、記念碑的な9曲の交響曲の幕開けに相応しい技ありのスタートです。
・マズア/ゲヴァントハウスと言えばかつての東欧の王道コンビです。マズアは東独崩壊の際にライプツィヒのデモ鎮圧を控えるよう当局にメッセージを送りドイツ統一に貢献した人で、一時は統一ドイツの大統領候補とも言われた人です。
・高校の頃、自宅に母の買ったマズアの第九のLPレコード(第3楽章の途中でB面に)があり、コントラバスの練習のために何度も聴きました。最近、その演奏を含む交響曲全集を中古で手に入れました。
・この演奏が録音されたのは1972年11月。「東西ドイツ基本条約」が結ばれ東西ドイツがお互いを認めたのがこの年です。東独の演奏は伝統に従った手堅いもの、というのがドイツ統一前の印象で、この演奏も派手さはないが安心して聴けます。今や遠い昔となりましたね。