I LOVE 大瀧詠一!~瑞穂町、福生、横田基地 | 福岡日記+(プラス)

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転勤族から見た福岡や九州の風景、趣味の音楽の話などを綴ります。

終盤に差し掛かったスイス旅行記をもう一度中断して東京での近況を。

 

私の大好きなアーティストに大瀧詠一がいます。はじめて知ったのは、ご多分に漏れず1981年(大学2年生!)の「ア・ロング・バケイション」ですが、その後、さかのぼって「はっぴいえんど」時代やブレイク前のソロ時代も聴きまくりました。

 

今回、東京の西多摩郡瑞穂町の郷土資料館「けやき館」で大瀧詠一の特別展『GO!GO!NIAGARA 大瀧詠一の世界2018』(12月17日~2月4日)が開かれていると知って、勇んで出かけてきました。

 

 

 

 

瑞穂町は、岩手県出身の大瀧詠一が東京で居を構えた町です。地下鉄有楽町線沿線のわが家から、東武東上線経由で川越まで行き、川越・八高線で箱根ヶ崎まで、1時間半弱くらい。そこから歩きはじめます。

 

 

 

 

大瀧詠一は、瑞穂町の自宅兼スタジオ(福生45スタジオ)で70年代に多くのレコードやラジオ番組『ゴーゴーナイアガラ』の収録などをしました。彼が2013年12月30日に亡くなったのも瑞穂町の自宅。年末の夜、あの悲報を聞いた時の驚きは今でも忘れません。

 

駅から歩いて20分弱でけやき館に着きました。

 

 

 

 

大瀧詠一は岩手で三沢基地のFEN(在日米軍放送)を聴いてアメリカンポップスに目覚めた人ですから、東京のFENがある横田基地近くの米軍ハウス(元米軍人の家)に住んだのもうなずけます。私も中高時代に英語の勉強と称してFENをよく聴いたなあ。

 

展示室の前には、ゆかりのレコードジャケットの数々が。

 

 

 

 

展示会場です。様々なレコードや当時の録音機材などが展示されていました。中は撮影禁止なので、外からの様子だけ。結構人は入っていましたよ。

 

 

 

 

展示を見終わった帰り道。そう、このあたりは狭山茶の産地なんですね。八高線の車窓からも茶畑が見えました。はっぴいえんどで私が一番好きな曲、『春よ来い』では、お正月に一人でこたつに入って熱いお茶を飲む孤独な青年の姿を大瀧詠一が歌っています。鈴木茂のギターもシビれますよね!

 

 

 

 

当初はまっすぐ帰る予定だったのですが、せっかくなので横田基地を見てみたくなりました。箱根ヶ崎から八高線で一駅、東福生で降りて少し歩くと、国道16号線“BASE SIDE STREET”に出ます。道路の向こうに見えるのが横田基地の塀です。

 

 

 

 

しばらく歩くと、基地のゲートです。トランプ大統領が黒塗りの車で出てきたのはこのゲートかな?

 

 

 

 

ゲートのすぐ横まで行ってみました。米空軍横田航空基地…1都8県に及ぶ広大な『横田空域』を管制するのはここにある米空軍です。

 

 

 

 

ゲートの前を横切ってみましたが、特に歩哨もおらず、至って平穏な雰囲気でした。ただ、近くの公園では、『横田基地撤去』を訴える集会も開かれていました。

 

 

 

 

再び16号線を歩きはじめます。歩道の旗もアメリカンですね。ここは福生市。大瀧詠一には『福生ストラット(パート2)』というカッコいい曲があります。自宅に設けた『福生45スタジオ』といい、福生に思い入れがあったんですね。

 

 

 

 

ロードサイドにはアメリカ風のお店が並んでいます。

 

 

 

 

沖縄ではよく見るブルーシールアイスも!寒かったので食べませんでしたが…。

 

 

 

 

基地の向かい側に店が並ぶ「片側だけの商店街」です。

 

 

 

 

別のゲートには、『JASDF(航空自衛隊)』の文字。日米共用基地なんですね。

 

 

 

 

フェンス越しに基地の中が見渡せる場所もありました。中学や高校がある場所のようでした。

 

 

 

 

横田基地は、戦前は『多摩陸軍飛行場』だったそうです。終戦前に米軍が当時の大字の名から『横田飛行場』と呼び、戦後は『横田基地』となったそうです。横田の地名は今はないとか…。

 

 

 

 

基地に別れを告げ、拝島駅に着きました。東福生駅から40分くらい歩いたでしょうか。ここは、福生市の玄関口なのですね。拝島からオレンジ色のJR青梅特快に乗って帰りました。

 

 

 

 

このアメリカンテイストにあふれた基地の街は、大瀧詠一にぴったりのイメージでした。展示会をきっかけに大瀧詠一の住んだ街を歩き、その空気を吸うことができました。けやき館の特別展は2月4日まで…まだ間に合いますよ!

 

***

 

家に帰って、大瀧詠一のCDを並べてみました。LPでは何枚も買ったのですが、CDは4枚だけ。左上がはっぴいえんど(松本隆、細野晴臣、大瀧詠一、鈴木茂)のベスト。左下がはっぴいえんどのセカンドアルバム『風街ろまん』。右下ははっぴいえんど解散後のソロ時代でおそらく一番売れなかった『レッツ・オンド・アゲイン』。右上がその次のアルバム、超名作『ア・ロング・バケイション』です。ロンバケはCDを買っていませんでしたが、大瀧さんの悲報を聞いた2013年12月30日の夜に即ネット注文し、品切れになる直前にゲットしました。

 

 

 

 

はっぴいえんどは4人の個性がぶつかり合って日本ならではの『ロック』を作り上げた画期的なバンドでした。解散後のソロ時代は、センス抜群ながらやや趣味に走り過ぎてヒットから遠ざかり、松本隆と再び組んだ『ロンバケ』ですべてを吐き出し大逆転満塁ホームラン、という感じだと思います。

 

はっぴいえんどの覇気と大瀧詠一ならではのグルーヴ感、ソロになってのマニアックな袋小路感、そしてロンバケの爆発と完成度…それぞれに大好きです。

 

 

 

【今日のBGM】

・レッツ・オンド・アゲイン・スペシャル

 ナイアガラ・フォーリン・スターズ

・LP時代に大瀧詠一のソロアルバムはだいたい揃えたのですが、『レッツ・オンド・アゲイン』だけは廃盤で手に入りませんでした。このアルバムを最後にコロムビアとの契約が打ち切られ、その後CBSソニーのロンバケで復活…となればディープなファンとしては一度は聴いてみたくなります。そこでCDを見つけて買った(3200円!)のですが、『スペシャル』とあるとおり初盤とは中身が変わっていました。

・内容は本当にマニアックで、ダウンタウンブギウギバンドの『スモーキン・ブギ』の替え歌『禁煙音頭』、レイ・チャールズの『What'd I say』の音頭版『What'd I say音頭』など、原曲を知っていると抱腹絶倒です。中でも一番痛快なのがピンクレディ『渚のシンドバット』の替え歌『河原の石川五右衛門』で、あまりに痛快すぎて原作者側のOKが出ず、初盤には収録できなかったそうです。クレージーキャッツ風の『イエローサブマリン音頭』はポール・マッカートニーが絶賛したと大瀧詠一が昔ラジオ番組で語っていました。

・このあたりになると、「これが本当に『いい音楽』なのか?」という人もいると思いますが、思わず身体を動かしたくなる音頭のリズムは、ブラックミュージックなどいろいろな音楽とつながっていることが感じられます。まあ、そんな難しいことを言わなくても、聴いて楽しけりゃいいんでしょうね!