一昨年12月のスイス旅行記。今回はジュネーヴです。ローザンヌからスイス国鉄で1時間弱。最初にチューリッヒからジュネーヴ経由でローザンヌに入ったので、来るのは2度目です。
ジュネーヴ駅からトラムで少し行ったところに国連の欧州本部、パレ・デ・ナシオンがあります。戦前は国際連盟の本部でした。広い前庭に万国旗がはためいています。
国連前では文字どおり万国の人たちが記念撮影していました。改めて気づかされるのは、『国連』とはUnited Nations、すなわち日本を含む『三国同盟』が戦った『連合国』そのものなのですね。
国連本部の前には、壊れた椅子のモニュメントがあります。よく見ると左前の足が壊れていて、地雷の恐ろしさを表現しているとのことでした。…芸術の象徴的な力というのは確かに心に残りますね。
国連本部から歩いて少しのところにUNHCR(国連難民高等弁務官事務所)の本部があります。どちらかというと国際赤十字本部の方が有名ですが、息子の研究テーマの関係で、わが家族の関心はこちらにあります。
UNHCR本部には、「“難民とともに”団結する」というスローガンが掲げられていました。この組織、最近は本当に大変だと思います。
ジュネーヴが国際都市になったのは、宗教改革の発信地であったことや1860年代の赤十字設立(ジュネーヴ出身のアンリ・デュナンが主導)がきっかけかと思いますが、永世中立国スイスにあるうえ、フランスに取り囲まれたフランス語圏でありながらプロテスタントの地域でもあるといったバランスが国際機関の設置場所にふさわしかったのかなと想像したりします。
国際機関の集まる一角から駅に戻ってさらにトラムに乗り、レマン湖畔に着きました。湖の端を横切るモンブラン橋を渡ると、ジュネーヴ名物の大噴水が見えてきました。
モンブラン橋を渡るとレマン湖の南側。レマン湖の南側は基本的にフランス領ですが、湖の西端はジュネーブ州が南側に回り込んでいます。要するにジュネーヴ州は三方をフランスに囲まれている訳です。
橋を渡ったところに、有名な花時計があります。まあ、大した時計じゃないと言えばそれまでですが、時計産業はスイスの象徴。写真を撮る観光客も多くいました。
このあたりからジュネーブの旧市街に入っていきます。冬の寒空の下、屋外のカフェでお茶(ホットワイン?)を飲んでくつろぐ人が多くいました。
坂の小道が多い旧市街の街並みです。
一番手前に見えるのがジュネーヴ州の旗です。ジュネーヴは16世紀以来独立した都市国家でしたが、ナポレオンに占領された後、1815年のウィーン会議でスイスの州(カントン)となりました。スイスの新しいメンバーです。
ジュネーヴは宗教改革の町。16世紀前半にカトリックのサヴォイア公国(シヨン城を作ったのがサヴォイア公でした)から独立し、宗教改革者・フランス人カルヴァンによる「神権政治」が数十年にわたり行われたそうです。
そのカルヴァンが拠点としたジュネーヴの宗教の中心、サン・ピエール大聖堂です。
正面から見ると、神殿か国会議事堂のようですね。この大聖堂、もともとは長い歴史を持つカトリック教会でしたが、宗教改革とともにプロテスタントの教会になったそうです。
中に入ると、やはり荘重です。天井の造りなどがローザンヌのノートルダム大聖堂と似ていますね。
後ろを振り返ると大きなパイプオルガン。これも美しい装飾のようです。ただ、プロテスタントの中には「新約聖書には音楽とともに祈りを捧げる記述はない」として教会音楽を排除する考え方もあったようです。宗教教義の争いというのは難しいですね。
教科書にも出ていた宗教改革者カルヴァンの座った椅子が残されていました。統治者カルヴァンは市民に厳格な戒律を求め、異端者を生きながら火刑にするなど、厳しい側面もあったようです。
大聖堂の階段を昇って、階上から眺めたレマン湖の眺めです。
反対側には中世の雰囲気を残す旧市街が広がっています。
大聖堂から少し歩いたジュネーヴ大学近くの公園に『宗教改革記念碑』があります。カルヴァンや、カルヴァンにジュネーブにとどまるよう要請した牧師ファレルなど4人の大きな像でした。
そろそろ夕方です。今日は12月26日。クリスマスマーケットは終わっていますが、飾りつけや出店を楽しむ人たちで通りは賑わっていました。
国際都市ジュネーヴは、永世中立国スイスらしい都市ではありますが、スイスの中では独自の歴史をたどった街でもあります。様々な言語や宗教が縦横に交わり時にはぶつかるヨーロッパの大海に浮かんだ小さな島…そんな感じがしました。
【今日のBGM】
・ショパン ピアノ協奏曲第2番
コルトー(ピアノ) メンゲルベルク指揮パリ放送大管弦楽団
・スイスの生んだ歴史的名演奏家にピアノのコルトーがいます。ヴァイオリンのティボーとのデュオなどで数々の名盤を生んだ人です。長らくLPやCDを買ったことはありませんでしたが、1年ほど前、メンゲルベルクと組んだこのCDを知って思わず買ってしまいました。
・この演奏は1944年1月、パリのシャンゼリゼ劇場…ナチス占領下のヴィシー政権の時期、ノルマンディー上陸作戦の半年前のライヴです。ラジオ放送が音源のようでアナウンスも入っていますが、音は鮮明です。メンゲルベルクの指揮は厳しくどっしりして、コルトーのピアノは華やかで振り幅が大きく、そして二人ともロマンに満ちて変幻自在です。千両役者同士のがっぷりよつ…といった感じですね。
・しかし戦後、メンゲルベルクはナチスに協力したとして引退させられ、コルトーもヴィシー政権と近かったためフランスでは演奏できなくなりました。この演奏の熱狂的な拍手を聞くと、何とも複雑な思いがします。
・しばらく前のNHKで、ヴィシー政権下のフランスで日本の指揮者・近衛秀麿が何人ものユダヤ人音楽家をスイスに逃がした話が紹介されていました。そのルートはジュネーヴ近郊だったそうです。ジュネーヴに着いた音楽家たちは、やっと小島に辿り着いた漂流者のような気持ちだったかもしれませんね。