昨夜帰るときなんだけどね


駅からバスで帰るとき
おーっきい女の外人さんが乗ってて、たまたま同じところで降りたの

雨が降り始めてたのに
旦那さんが傘も持たずに降り始めの雨のなかでバス停まで迎えに来てた


奥さん手広げて旦那さんに走ってかけよって

手繋いで帰ってった




素敵だなって思った
同時に羨ましくも感じた









どんなに巨漢でも
外見なんかどうでもいい
それぐらい好きなんだよね愛なんだなー








すてきだったな






大学に入ってから周りの態度を見て2年間ことごとく感じてた、

所詮外見なんだ…って

でも一番自分で自分を卑下してるんだよな


かわらなきゃな
気持ちはコントロールしようとする必要なんかないんだよね


気持ちをコントロールするってことは素の自分の心を抑圧することになるから、自分に嘘をつくわけで、それは実に苦しいこと




大事なのは、その素の自分の気持ちを受け止めること


憎いと思ったなら、憎いと思えばいい。だけどその憎い気持ちを動機へ向けちゃいけない

その動機から新たな憎い気持ちか゛、違う場(例えば相手)に生まれてどんどん憎い気持ちがお互いに溢れていく

大切なのは受け止めること

素直に思えばいい


感情は悪いことではないんだから








でもね

まだわからない部分がある

あたしの
いきどころのない気持ち
の正体がわからない

あと、

自分の主張は『それでいいのか?まだ考える余地があるのではないか、自分のことを棚にあげてないか』と自分を責める気持ちと、自分の主張は『それでいい』と信じる気持ちの葛藤

これは一生抱き続ける葛藤なのか…
集団やチームとか信頼とかは難しいです。

ある本に書いてあった。
神経過敏な人間は
『生きていくうえに最も根本的な、最も大切なものを欠いてしまっているのである。したがって、表面上は他の人と何も変わりがないのに、本人は、意識するかしないかは別にして、深い自己不完全感を味わっている。なにか大切なものが不足しているのである。それは、人々との暖かい心のつながりをどうしても築けないということである。…
わだかまりがあって、相手と一つの感情にとけあうこともできず、かといって相手から離れて行くことも、何となく出来ない』

確かに今までを振り返って本当にそうだった気もする。
でも何か方法がある気もする。





今日チームメートに向けてメールを送った


結果ぢゃなくて、過程を大切にしたかったの。価値観を擦り合わせたかったの。でもやっぱりだめだったよ。伝わらなかった。
だから一番近い友達にぶつけてしまった…
傷つけてしまったかもしれない

………………………………………………………………
…ごめんね

その気持ちもわからなくないよ。
あたしは理解したいと思う。けど、あたしの考えは少なからず理解されようとしていたのでしょうか。理解しようとしたうえでの答だったなら納得できます。でもあたしの意見に少しでも耳を傾けて、あるいはあたしの理解できない納得できない部分を説得しようと考えを聞かせてくれたでしょうか。お互いの価値観をすり合わせようとしたでしょうか。あたしは押し付けられたような気分です。
またいつも同様お互いが納得いく結果を出そうとする様子すらも伺えず、一方的に終わらせられてしまうような気がします。
逐一この些細なことに理解できないものが重なっていって正直しんどいです。でもそれはあたし自身も変わる必要があるのかもしれないと思う気持ちもあったから距離を置き、部活を休んで、沢山の人に話を聞いたり何冊も心理学の本を読んだりたーくさん考えて自分を見つめたりしてます。
心身不安定で部活を休む意味でさえ完全に視野に入えてもらえなくて、主張も耳にすら入れてもらえず自分は生きているのに生きていない感覚、その場にいるのに存在を無視されているようなそんな虚しい気持ちです。うるさい女だと思うかもしれません。あたしは昔みたいにあったかい部だなんて感じられないです。

………………………………………………………………

居場所とは
価値観を擦り合わせられる場所を指すのかもしれない
それが安心できる場所




もう自分なんかいらないよ…