時代の移り変わりと思い出 | のらねこ農民放浪記

のらねこ農民放浪記

ゆらゆら、ふらふら…毎日をほろ酔い気分に過ごすナチュラルでスローな生活を夢見る野良猫ファーマーの日常エッセイです。大好きなワインのことから緑に包まれたトスカーナの山村、第二の故郷、シチリア島…などなどランダムに更新。

その昔、私が働いていた日本の旅行会社が倒産した とイトコからのメッセージで知りました。

かれこれ20数年前になるんですがね、私が旅行業デビューした会社でした。
顧客の割合が多く、秘境地なんかを主にしてユニークなデスティネーションを扱った中堅会社。
新聞広告を使った大量募集ツアーとは違い、私達が営業、手配、添乗、見送り、宣伝全てを担当したんですよね。

4年間くらい勤めましたが、正直いってかなりキツかった。

「3度のメシより旅が好き」みたいなパワフルな客をつれた秘境地への添乗ではロクに英語も話せない地元ガイドに悪戦苦闘したり、
会社のロゴであった不気味なウサギがプリントされたヘンなハッピを着せられて、空港でご出発のお客様のお見送りお手伝いをしたり (んで、チェックインカウンターにはグランドホステスとかになっちゃった大学の同僚なんかが、カッコイイ制服でいたりするんです)…

1ヶ月に1回くらいの海外添乗の他は営業で連日夜の10時くらいまでサービス残業。
そして、次の添乗に備えて休日は図書館通い(そのころはネットありません!)で知識をつけ、英語ガイドの通訳がちょっことでもできるようにする。(日本語ガイドさん同行なんて夢の夢)

いや~、地獄の生活でした。若かったから絶えられたんでしょうなあ…

でも今から思うと、あの経験のお陰で旅行業務についてのトータルな知識と技術がついて、現在に至るんですよね。

わけのわからん言葉を話すわけのわからん国に連れて行かれ、客のワガママを聞くのにすっかり疲れた私が、入社4年目でシチリア島にトンズラこいたものの、ひょんなことから現地ツアーオペレーターに就職しちゃってイタリア語わかんないままスムーズに業務がこなせたのも、この経験があったからこそ…

そういえば、初添乗は忘れもしない「シナイ山とエジプト」でしたな~。
「日本語ガイドくるからね~」なんて言われてカイロ到着すると「HELLO~!」と英語ガイド
はっきりいってカイロの考古学博物館で英語ガイドの説明を訳せ といわれても

「訳せるわけないでしょおおおお~!!!」

深夜2時にたたき起こされて、(興味のない)シナイ山に登山させられ…フルガダまでの船はしけて大揺れ、ガイドやドライバーは「チップが少ない」と文句をいいやがる…
ほんと「海外旅行はコリゴリ」と自分で言いたくなったくらいですよ(笑)

それにしても私の人生の節目にはなぜかエジプトが関わってくる…

トラブル続きの初添乗、結婚式前のクソ忙しい時にカイロ滞在となり結婚指輪もカイロのマーケットで調達、そんでもって今、カイロでアパート暮らしが続く…なんか妙な縁があるようですな。

倒産した会社で一緒に働いていた同僚や後輩達のほとんどは数年で転職や離職。
それでも結構みんな旅行関係にいちゃったりしてるのを考えると、やっぱあの会社は「旅行大学マスターコース」みたいな部分があったのであろう と思います。

それがなくなってしまた今、なんとなく母校が消えたような寂しさが残りつつも、超ハードだった過去の思い出が帳消しにされたようで、新しいページを捲るスッキリした気分でもあるのです。