こんにちは、BLAST塾長、吉田憲司です。
1998年1月27日の午前1時すぎでしょうか、景山民夫さんが帰天されました。
ああ、もうあれから27年が過ぎたのです。
その夜と次の日のことは、このアメブロでも書きました。
これが、2011年の投稿です。
また、「BLASTの選ぶ偉人」の一人としても認定させていただきました。
そして、これが2018年の投稿です。
こうしてみると、7年ごとのメモリアルのように、投稿を繰り返しています。
カゲヤマニア第一号だから、仕方ありませんよね。
今年2025年の1月27日で、ちょうど27年となります。
塾長のラッキーナンバーの「27」でもあるので、何か書かなければいけない使命感に駆られているわけです。
〝吉田さん、そこまでしなくてもいいよ…〟
と、天上界の景山さんの声が聴こえそうです。
〝ぼくを懐かしんでくれるのは、うれしいけれど、もっと他にそれこそ、やらなければいけないことがあるんじゃないですか…〟
とも、おそらく思っておられることでしょう。
そうなのです!
畏れ多くも、景山民夫さんとBLAST塾長の共通点といえば、やはり、最初に来るのは「ユニークなタイプであること」?!
いえ、そうではありません。
景山さんもBLAST塾長も、ともに、「エル・カンターレ信仰」を持っていた、ある意味、同志とも言えるのです。
景山さんが、「幸福の科学」に入らなければ、BLAST塾長も後を追って、興味を持ったりすることはなかったと言えるでしょう。
そういう意味では、(無神論ではありませんでしたが、ある意味)「唯物論」的な人生観を持っていた若き日の塾長を、真っ当な方向に帰るきっかけをくださったのが、景山民夫さんということになります。
そういう意味では、「命の恩人・大恩人」でもありますし、「魂の恩人」と言っても差し支えないかと思います。
BLAST塾長にとっては、景山さんは、今もそういった方なのです。
もちろん、中3の受験期に見ていたアメリカのテレビ番組、「ゴングショー」の翻訳からお世話になって、雑誌「BRUTUS」掲載の「普通の生活」…その他もろもろにおいても多大な影響を受け続けてきたという点においては、上の2作のブログをご参考になさってくださればと思います。
実は、いつものことではあるのですが、景山さんが帰天された命日には、何かの作品を読むこととしています。
手軽に読もうかなという思いもあって、『さよならブラックバード』のあとがきを読みました。
このあとがきは、これまでにも何度も読んできていますが、涙無くして読まなかったことはないほどの名文です。
〝もう、27年めにもなるし、もう流石に泣くことはないだろうな…〟と、若干不遜な思いを持って、読み始めました。
一段落めを終えるか終えないかぐらいの頃には、すでに涙がうっすらと滲んでいます。
そうなのです、そういった内容のあとがきなのです。
娘に、読んだことないだろうなと思って、「このあとがきだけでも読んでみて」と手渡しました。
しばらく経ってから、「どうやった?」とたずねると、「景山さんって、こういった面をお持ちやったんやな」と感心していたように言っていました。
どうやら、うっすらと泣いていたようです。
そういったあとがきなのです。
この日、久しぶりに「作家ほっとタイム 景山民夫」を見ようとしていたのですが、家のVHSデッキが作動しないのです。
いずれこれは、DVDに焼いておかなければならないでしょう。
そこで、大川隆法総裁先生の霊言で、『小説家 景山民夫が見たアナザーワールド 〜唯物論は絶対に捨てなさい〜』というものがあるのですが、これを何度目かの全編を読みました。
BLASTライブラリーには、「景山さん帰天日」ということで、例年の如く景山さんのお写真を飾っておきました。
そうそう、そういえば、昨日不思議なことがありました。
この『さよならブラックバード』のあとがきのなかで、帰天された長女さんの病院に向かう道すがら、景山さん夫婦は別々に車を走らせるのですが、首都高速の入り口で偶然に出会うという奇跡のエピソードがあります。
景山さんによると、自分たちの守護霊が頑張って出会うようにしてくれたと、感謝を述べておられたかと思います。
昨日、千幸さんと塾長は、別々にBLASTに向かおうとしていました。
〝これで、ふだん乗る高速道路の入り口付近で出会ったりしたら、この奇跡のエピソードみたいだな〟と塾長は、ふと思ったのです。
時間のタイミング的にはすこしズレていたので、〝まぁそんなことはないだろう〟と思いながら、高速の入り口に差しかかった時です。
塾長の車を追い抜く形で、右レーンを走り去った車がありました。
その車のナンバープレートが、なんと「ち ◯◯◯」で、この「◯◯◯」には「千幸さんの誕生日」が入ります。
千幸さんで「ち」、そして、その「誕生日の数」がこのタイミングで起こったことも〝単なる偶然〟として片付けるには惜しいのではないでしょうか。
「奇跡認定」しておきたいと思います。
ここでは述べませんが、最近、実に、こういうことが頻発しているのです。
本日、「3/2」ということで、誰よりも「奇跡」を望む塾長の、景山さんにちなむ文章となってしまいました。
これでよかったですよね、景山さん。
以上、「27年目の景山民夫さんの思い出」でした。
ここまでお読みくださり、本当にありがとうございました!
【書き始め:2025-01-28 17:19:20】











