こんにちは。Jukool BLASTの塾長、吉田憲司です。
今までにあまりないタイトルですが、8/11(金)11年ぶりに、娘が本格的に帰国しました!
うちの娘がアメリカで本格的に学び始めたのは、「国際学校の8年生(Gr.8)」が終わった頃ですから、日本の公立校で言うと、中学3年生の9月ごろとなります。
年齢もまだ14歳でしたから、飛行機で海外に行くには「エスコートサービス」をつけなければなりませんでした。
これが確か「110ドル」ほどかかったと記憶しています。
この「エスコートサービス」を何度か利用したのですが、そのうちに独りで帰ってくるようにはなりました。
「トイレまでついてきてくれるけど、お金がもったいない」と言っていたように思います。
「吉田家のルール」としては、帰国時には「空港まで迎えに行く」というのがありましたが、送り出すのは、仕事の都合もあり、「エアポートリムジン」の発着所まででした。
11年前というと「2006年」です。
塾長の祖母が亡くなった年でもあり、塾長が大学院に籍を置いていた年、そして「株式会社ブラストメディア」を立ち上げた年でもあります。
当時、娘はいわゆる、東部エスタブリッシュメント・バリバリの「全寮制の高校(4年制)」で学び始めました。
もちろん、いきなり留学したわけではありません。
その前年から、「サマーキャンプ」を体験したり、親子ともども「学校見学」をして、親子別々に担当者と「面接試験」も受けた上での受験を経験したわけです。
(これは、2005年の高校見学の様子です)
どれも、いわゆる「プレップ・スクール」と呼ばれる学校です。
当時、学校に1年間だけおられた先生に、千幸さんが相談をして受験校を絞り込みました。
学校の先生方とのパーティーのようなものがあり、そこでたまたま、その方と千幸さんが知り合い、いろいろな情報を得るようになったのです。
「偶然といえば偶然」の状況ではあるのですが、今から思えば「必然」であったとも思います。
全寮制高校を5校受けて、4校に合格し、感触の良かった高校に進むことになりました。
その当時でも、日本人は彼女一人でしたし、記録に残る限り、「その高校に日本人が在籍したことはない」と聞いていました。
そういった環境の中で、娘は「アメリカ生活」を始めます。
どうしても、「人種的マイノリティ」に属しますので、否が応でも「人種差別(のようなこと)」は経験したようです。
もちろん、「積極的ないじめ」という形ではありません。
「人種差別(のようなもの)」が、どういう形で起きるかは、この時期に経験したようです。
2010年には、「卒業式」に私たちも出席しましたが、その時でさえ、その一端は垣間見ることはできました。
あと、この学校には、日本人はいませんが、チャイナやコリアからの留学生が多く、どうしても「アジア人」というくくりで比較されるようなこともあり、却って「日本人」としてのアイデンティティを意識することにもなったようです。
(2010年の高校の卒業式の様子です。卒業する女子生徒は白いドレスを着る伝統です)
そして卒業後は、中西部にある「リベラルアーツ系」の有名大学に進学します。
高校時代に感じた「人種差別(のようなもの)」に辟易してか、リベラルな大学を娘は選びました。
たまたま乗り合わせたタクシーの運転手に、その大学の名前を出すと、「いい大学なんですよね…」と言われるぐらいのアメリカでは有名な大学です。
「全米で最初に男女共学」となった大学です。
もちろん、「アフロアメリカンの学生を最初に受け入れたことのある大学」でもあります。
つまり、非常に「リベラルなカレッジ」ということができます。
ここでは「リベラルアーツ」の良き伝統をも学ぶことができたように思います。
姫路西高が「特別選抜」と称して、今年までの3年間「リベラルアーツ風」なコースを作っていますが、これのオリジナルの形で、娘は学んだことになります。
神崎郡からは、この姫路西高の「特別選抜」の全学年で、塾生が学んでいますが、このあたりも「吉田家の子育て」と無関係とは言えないかもしれませんね。
とにかく、娘は、このリベラルアーツ系の大学で、部活(フィールドホッケー)も頑張り、「中西部の代表」として選ばれるところまで行くのですが、結局、最終的には、途中で退部してしまいます。
「スポーツばかりしていて自分の時間が持てなくなった」というのが理由だったかと思うのですが、このあたり、高校のサッカー部を途中で退部した父親譲りなのかもしれません。
ただ、大学の体育館には、彼女のフィールドホッケーをする姿がバナーとしてかかっていたかとは思います。
一定の成果を出すところもまでは続けたのではないでしょうか。
また、学業においても、大学卒業時にはアインシュタイン博士やライナスポーリング博士も名を連ねる「シグマ・ザイ」という理系の協会のメンバーに推薦され入会できましたので、こちらも一定の研究の成果を収めて卒業したとは言えるでしょう。
(2014年、大学卒業式の様子です。後ろでは友人の家族が同じように撮影中です)
大学卒業後には、しばらく、研究室のお手伝いをした後に、アメリカの肺炎研究としては一流の研究所での仕事を、自ら見つけてきます。
自己PRをした結果、採用されて、「テクニシャン」としてある大学の研究所で働くこととなります。
肺炎の原因となる微生物を、「クリスパー CRISPR」という最新技術を使い、遺伝子レベルで編集するような仕事です。(日本語で書いていても、理解不能な内容です ^^;)
最初の2ヶ月で、過去1年間進まなかった研究を手早くこなし、一定の評価を得ます。
ただ、どうしても研究職という「理系のお仕事」が好きになれないため、2年半勤め上げた研究所を後にすることにしたようです。
本人は、研究所での生活には「不完全燃焼」を感じていたようですが、実際に辞めるとなると、実に多くの方から、さまざまなプレゼントや心遣いをもらうこともあり、それまでの「自己評価」が過小であったと気づいたようです。
帰国した今は、また新たなジャンルを設定しているようです。
マイナスに考えると、このあたりは「リベラルアーツ」で学んだ「弊害(笑)」と言えるかもしれません。
日本の多くの教育のように、文系・理系を早くから決める形で進んだ場合、進路や思考方法が確定しがちなのでしょうが、娘の場合は、文系も理系も同等に学んできているため、よほど将来の進路が確定しない限りは定まりにくいのかもしれません。
それはそうでしょう。
「生物学」を取り、オポッサムの解剖をしながらも、「世界の宗教学」を学び、「美術作品」を作り展示すると買い手がつく、という大学生はそれほど多くはないと言えるでしょう。
ただ、文系・理系の壁を超えるという中に、一種独特な教育の成果を見ることはできます。
おそらくは、今後の「日本の教育」が目指すべき方向でもあるようには感じます。
とにかく、無事に帰国してくれて、親としては嬉しい限りです。
ただ今後は、BLASTでも「ALT」として働く機会もあるでしょうから、その折にはどうぞよろしくお願い致します。
と、ここまで書いたところで、8/12(土)の中3のクラスに飛び入りしてくれました。
YouTube動画を貼り付けておきます。
では、どうぞよろしくお願い致します。
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中学部は「a・b」の2クラスで進めていくので安心です。
まずは、ご予約が必要です。(0790-23-1625)
月曜日=5:15 or 5:50, 9:10pm
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