休日に何もせずSNSを徘徊して15時くらいになり慌てて何かをするとき昔はよくありました。
今でもたまにあります。
そういうときって体がぐったりしています。
逆に疲れが溜まってしまう。
詞旅さんの言葉を引用すれば
「何もしないという選択の連続が想像以上にエネルギーを奪っていった」
「何もしていないのに疲れている自分」が、本当に嫌いだった。怠け者で、甘えていて、言い訳ばかり。スマホを見てソファで過ごしているだけなのに酷い倦怠感があった。周りはちゃんと動いていて、それなのに自分ほど疲れを感じていないように見える。でも本当は、…
— 詩旅 紡 (@tsumugi_utatabi) December 16, 2025
自分を誤魔化して生活しているに過ぎない。そのとおりです。
見城徹さんは自身の著書で
「こうして原稿を書いている僕も、僕の原稿を読んでいる君も、死というゴール地点に向かって今も刻々と時間を過ごしている。どうせ生きるなら仕事に熱狂し、人生に熱狂しながら死を迎えたいのだ」
「君がなんとなく生きた日は、昨日死んでいった人たちがどうしても生きたかった大切な明日だ」
私ハックは
身近な方が突然亡くなったり、大病を患ったりと、死が身近な存在となりつつあります。
川辺で偶然見た疾走する鹿が美しかったり、12月になっても我が家の庭に僅かに咲く小菊に蜜を吸いにくる虫に儚さを感じるのは一瞬一瞬を懸命に生きている事へ賞賛です。
後悔なく生き抜くには毎日毎日自分の決めた道を進んで行くほかはありません。









