転職した27年間勤務した会社について色々思い出すと、転職直後の職場は若い社員が多く活発な職場に思えましたが、余りにも役員・管理職の情報処理システムに対するリテラシーが低すぎて事業は成長できず、得意分野も育てられずに並みの情報処理機器販売商社と同じ技術レベルのままになっていったと感じています。
情報システムのシステム特許申請についても、システムエンジニアに義務が課せられていたわけでもないようでしたし、そもそも情報システムに関する特許制度についての解説などは社内掲示板でも見かけなかったのではという事も自身の錯覚であったのかとも思っています。
会社としての特許申請というのは会社ステータスの象徴ともなりうる内容と思いますが、特許申請しても殆どが、類似性内容とか、独自性が無いとし指摘されて却下となる件数が99%だと想定されるので、専門家を養成しないと特許認定される対応が出来ない難しい作業と思います。法務部の一部機能とも考えられますが、現実の法務部は契約書の文言確認という派遣社員でも出来るような単純仕事にまい進するばかりで、例の役所体質の顧客からクレームを起こされた時、その締結したプロジェクトの契約書の内容について、法務部長や担当役員が顧客に自ら出向き契約内容と作業事実や成果物を確認するという基本的行為さえ出来なかったので、こういう局面で自己保身企業とか自己企業第一とかいう思想の元に想定される作業であるという事実が露見してしまい、契約文書確認は形ばかりのものであるという無駄な作業という証明にもなったにも関わらず、膨大な費用をつぎ込んで単純作業を延々と続けていたのは、役員能力や仕事のレベル感が知れて、とても特許などいう高度なことには考えが及びつかないという結果になっていたのだと思わされました。こういう会社としての基本機能の無いという点でも技術レベルが左程高くないという客観的な評価がされてしまう事にもなっていたと思います。
先回紹介した転職前の万年赤字事業部の工場技術者は、OSとかネットワークシステムとかDBを自前で製作できるほどの技量があり、顧客の要望に応じてソフトウエアとかシステムを製作していました。私の担当した外資系コンピュータ会社からホスト計算機をリプレースした案件では、外資系コンピュータ会社が米国開発DBを日本で販売していて、同一仕様でDBを自前開発し納品した時は感激があったのを覚えています。工場開発責任者から開発費用が掛かったので一定本数を売ってほしいとの要望もあり、営業部として時間はかかりましたが最低限は販売できたので、DB開発要請の言い出しっぺとしての重圧から少しは開放されたという経験もしています。
それに引き換え、退職まで27年間勤務した会社ではオープン系プログラム開発用のツールさえ外販品質に到達できないレベルの製品しか開発出来なくて、低レベル品質なのを無理やり社内に使用させて開発費を回収しようとした発想とは天と地ほどの違いもあると感じました。本当に技術に無い会社というのを実感させられただけでなく、思考停止した某事業部システムエンジニアの中には知らん顔して無知な顧客に納入するという、最早一般常識が通じない行為を平気で行っていたにのも驚くばかりという事実もありました。
転職前の赤字事業部の工場技術者の責任者は、時々本社営業部の会議に参加し上京した時、「こんにちは」と言いながら職場に現れて営業部社員と談笑していましたが、その表情は真面目で個性的だなと感じていました。こういう会話をしていたお陰で、土日に不明なDB障害が発生しても開発責任者自宅に連絡すると直ちに部下を工場に集めて修正プログラムを開発し、月曜日には顧客に納品してもらったのも強烈な印象で記憶に残っています。
それに比して、転職後27間勤務した会社の若手システムエンジニアの仕事ぶりを見ていると、仕事も無いのに深夜まで何をするわけでもなく残業していて、管理職や部長が退社後に同期社員とか飲み仲間とか談笑している姿を見たこともあり、転職前の工場技術者との落差が大きすぎると感じていました。その落差の原因は役員・管理職をはじめ現場責任者である筈の事業部長や部長の能力不足が反映されたものと感じていました。
年俸もたんまりもらえる役員以下事業部長や部長は、実務やノルマは担当者に押し付けてメッセンジャーボーイに徹するだけの楽な仕事なので凄く居心地の良い職場だと感じていたとは想像できていましたが、不幸なのは職場実態に無知な若手社員に勧誘されて入社した新入社員だろうなと思っていました。