学生の頃には、共産国家という名前を聞くと日本よりも住みやすいのではないかとイメージだけで想像をしていたのですが、年を経るうちに共産国家の色々な事件が起きるを見聞して、これでは自由も何もなかろうというのが理解でき、共産国家に対する嫌悪感が醸成されたと思います。
共産国家では貧富の格差が大きいとか、自由な発言が許されていないという中で、庶民は国の方針に反発も出来ずに言われるが儘に従わざるを得ない環境にあると思います。国家は庶民の反発を抑えるために、対策として一部の民衆に普通よりは良好な住居や生活を保障してプロパガンダ活動をする人たちを必要悪として育てていたと思います。民衆も少しでも良い生活を望むのは当然で、その為には他人のことより利己的な行動をしなくてはならんというので、大声で政権を賛美したり場合によっては他人を貶めたりしても、少しでも世間に目立つ存在となり生活の向上を願って、政権に取り入ろうとする人たちが存在するのは人間の本能から考えても自然かも知れません。これは本末転倒の好例で、国が富の再分配を民衆のために行えば解決できると思いますが、国としての対外上の見栄えとか体裁を作らないと共産党一党独裁という国のイメージが悪くなるので、どうしても国の政策として目立つ都市を作りで対外的なイメージ向上を図りたいという事になるのだと思います。その思考には現場感覚は無く、机上の空論という理屈をこねまわしただけの産物と言えると思います。
 
先回に続き、私の27年間勤務していた会社と共産党一党独裁国家との類似性を見ることができるのかと思った次第です。私の勤務していた会社では、親会社の業種とは全く毛色の違う情報処理業という業界に新規参入したこともあり、何度も書いていますが管理職や役員は情報処理とか情報システムという分野には知識も碌に持ち合わせないど素人な筈なのですが、耳学問だけで事業が出来ると考えていて勘違いをしている事に全く気づいていないという事だったと思います。
自社の事務処理をシステム化による合理化も出来ずに不便な手作業が多々発生する現状を顧みず、社外の顧客に対してシステム開発とか構築を行なおうとする姿勢には驚きを通り越して呆れていたことを思い出します。そこには共産国家と同じく、現場不在の頭でだけ考えるという思考があり、理屈をこねただけで方針を決めていた事だと思いました。
管理職や役員はシステムというものに対しても言葉上の意味しか理解できていないし、ましてシステム化による事務合理化などというのは考えもつかない思考なので、やることなすこと頓珍漢なことばかりになるのは当然だと思いました。同時に、管理職や役員は自社のシステム開発や構築に対する社員の力量を正確に把握できていないので、何か新しい事業を始めるにしても金銭目的だけのコンサルタントにコピペで適当に作成した資料を提示されて、その内容が自分の会社で実現できりかどうかさえも判断は出来なくて、何となく実現できそうな気がしていたのを無謀にも実行しておかしな結果に陥っていったのだと思います。
共産国家との同一性は、理屈だけで事を進めるというのにとどまらず、失敗と言う結果が見えたにも関わらず何とか体裁を整えて内容を少し変えたり延命させようとして、失敗と言う文字を表さないようにするという事だと思います。そういう経営は保身の上に立っていると考えざるを得ませんでした。
公平な会社であるという割には、管理者や役員の為す事やる事の不出来・不始末は何の咎めも無く、定年で規定通りの退職金をもらうというのはご都合主義がまかり通っているという裏返しではないかと思っていました。失敗を認めないというのはサラリーマンとして自己保身ですが、失敗を認めてこなかった歴史が結果として、新しい事にチャレンジしようとした時に正確な判断を出来なくしているという素地を作りだし、企業としての成長を阻害している要因であると考えたのは社員の中でも私一人であろうと思っていました。