40歳までに経験した仕事上の失敗の主観というものの中には、理性・感性などにも影響されているのを理解していなかったり、そもそも理解を伴っていたかどうかは甚だ怪しいと思う時があります。契約している顧客からのクレームについても先日のブログで主観的には色々なケースがあったと書きましたが、それは外面的な理解であって本質に迫っていたかどうかは当時殆ど意識する余裕さえも無かったと思います。普通に仕事をしていると、何か事件があってもイレギュラー処理として流れ作業的に処理されてしまって、特に日本のサラリーマン社会に於いては失敗とかいう類の悪い出来事は自分の評価にも影響しかねないというのでさっさと処理して、臭いものには蓋をするという傾向にあると感じています。赤字事業部の管理職から過大なノルマを押し付けられ、明日を見据えて仕事をするというような余裕は無くその日暮らしをしていたという環境では、失敗という事に対しては済んだ事だとしてどんどんと置き去りにして行くしか無かったのですが、営業職としての仕事の仕方はパターンが色々あるにしても何度か同じような失敗を繰り返すと失敗の理解が出来たりすることもありました。
或る新規の中小企業の顧客からは信頼感も得て契約寸前という案件がありましたが、最後の最後になって価格交渉の時に「本当にこれでいいですか」という問いをされた時がありました。提示した見積書は工場とも価格折衝して何とか引き出した安値で、事業部としては最大限の譲歩だったという内容でしたが、結果は見事に外れて競争相手に負けたという事がありました。これは自身の努力が足りなかったという事もありますが、一次的な原因としては工場との折衝で得た安値はもっと厳しく査定しなければならなかったという事でした。何となく顧客との会話も好意的に思えるというのが落とし穴になっていて、そこには顧客の心情と製品価格というものには何の関係も無いという理解不足があったと思います。当時は、落選して顧客に理由を詳しく尋ねたしましたが、そんな事は無駄なことで本質的な理解に欠けたことに気づかなかったのが失敗というのは気づいていませんでした。この失敗の原因についても自身で本当に理解したのは40歳も過ぎてから転職後に多忙な仕事をしている時でした。失敗の原因の本質を見極めるというのは、本人の経験とか感性・理解力によるところが大きいのではないかとも思わされた事例でした。
新規に製品紹介と称して顧客を訪問すると、普通には話を聞いてもらうだけでも有難いというような風に感じていました。以後も定期的に訪問する関係になれた顧客はほんの少しの数で、それも製品を買ってくれそうな感じにはなれない顧客ばかりでした。渋茶でも時々飲みに来てくださいというのが顧客の常套句で、彼らも世間話だけでなく何か新しい情報でも聞けるのかなというのを期待しているだけの事であったと思います。こういう風に契約を取りたいと願って定期的に通える顧客の対応についても、失敗というのがありました。或る顧客で導入したシステムが常識的には外れているなと思って色々質問をしているうちに、相手の癇に障るような一言を発したので雰囲気がおかしくなった事がありました。この時は帰り道では自身も感情的になっている自分が分かって、少し強い日差しだったのですが駅までそんなことは気にもしないでずんずんと歩いた記憶があります。この失敗も自身の顧客に対する理解力も低かったし、同様に感性のレベルも低くて自身の心の制御が十分では無かったと反省をしました。
仕事上で失敗というものは誰でも起こす事象と思います、それを他人のせいにしたり放置するという事は日本サラリーマン社会では間々見受けられることだと思います。しかし、そういう失敗を深く考えるという行為をするかしないかで先々の仕事の成果も変わるのではないかと感じています。