失敗の記憶の中には、新しい顧客から契約が取れそうだと分かりながら、結果としては他社に決まったという事例はいとまがないほどの数を経験しました。扱っていた製品の知名度が低かったという事もありますが、顧客にそれほど自身を理解してもらえていなかったという事ではないかと思います。そういう事に気づいたのは、計算機を売り込んでいた時ではなく、40歳も超えて色々な局面を一人で乗り越えていた時、ふと過去の経験を思い出した時に自身に足りなかった事が理解できたと思います。
失敗の経験を次に生かすとは軽々に言う人が普通に多数いますが、生かせるときは何時なのかという事を言える人は皆無に等しいと思います。それは本人が失敗の要因を分析出来て且つ解決策が見いだせる事ができた時に初めて失敗を生かせるというのであるとするならば、全ての人が失敗を生かせることはできないのではないかという事になります。事実、赤字事業部に属していた職場でも色々な事件が発生しましたが、事件の経験を生かして次の仕事に生かしているという人は殆どいなかったというのが感想です。
赤字事業部でも当時の時流に乗ったハードディスクは部内の課で始めたものが、部となり新しい事業部というところまで上り詰めましたが、あっという間に外資に負けて事業部はつぶれてしまいました。単に時流に乗っているだけでは事業は長続きしないという好例でした。この事例は長期的な視野が無く、場当たり的な対応が成功したので、そのまま同じ方針で継続したために市場動向とはマッチせず、他社に置いて行かれたのだと思います。この時、失敗した時は手遅れでもあったという程に時間の流れが他の製品よりは早かったというのも意識されていなかったのだろうと思います。
こういう何かを始めては行き詰まるという事を返している間に、事業部の赤字体質は改善もされることも無く、最後には稼ぎ頭という会社の主流事業部に併合されました。肝心の主流事業部の社員は代理店営業で、のんべんだらりとした仕事しかしていない実態を知らないで、大きな数字が上がるという理由だけで社内では評価されていたのでした。厳しい直接販売営業をしている社員が、代理店営業でぬくぬくと育った社員を見習えというのは無理筋で、これは大きな錯誤している役員がいたという証明でもありますが、同時に大きな失敗をしたときでもあったと思います。結果として時は流れると、主流事業部は社会構造の変化で自ら改編も出来なくて縮小の道をたどり、最終的には同業他社との合併で生き残るというみじめな末路になりました。赤字事業部は会社の業績悪化にもつながるとして、最後には子会社にさせられて終わりました。子会社にしたからと言って何か変わったという事は無く、会社が小さくなったので管理費も減って何とか体裁を整えることが出来るほどの体質になったと思います。この子会社の社長は親会社の社長が引退した後の指定席ともなった理由は分かりませんが、長年赤字事業部に在籍した社員から見ると違和感があります。
役員が計算機というビジネスを軽視し、役員の方針が間違った方針をだしたのは事業の大きな失敗とも言えると思います。それが子会社となった赤字事業部に生かされたという様子が無いというのが分かったのは、子会社となった後の営業マンが、私が転職後の会社で新たに顧客となった会社を訪問して何かの提案をしたというのを知った時でした。提案内容の評価を顧客の課長から聞くと、内容は合格ラインに行かないという評価で、私が勤務していた20年以上も以前と何も変わっていないというのを確認したからでした。