27歳で本社異動後、転職する迄の14年間に仕事上で自身がどれほどの失敗があったかと思い出してみると、失敗の中身には色々あって選別しなければならないという事です。特に30歳以降は売れもしない大型計算機を新しい顧客に売り込むという非常に困難な仕事をしていましたが、肝心のそういう困難な仕事に対して適切な指導は部課長には出来ないという絶望的な環境もあり、全てが手探りで上司はあてにならないので自身で解決しなければならないという環境にあったので、必然的に失敗の連続でした。
顧客との面談でも割合と好意的な人とそうでもない人とのコミュニケーションの確立から実際に提案書を作成して提示する迄の課程においては、まさしく荒野を一人で行くようにも感じられて、失敗の連続から段々と自分で顧客に対する方法を確立していきました。特に顧客とのコミュケーションが一番重要であるのは基本ですが、その相手はどういう人なのかを見分けるのに、相手の表情を読むというような当たりまえのことから、骨相学というような本も読んだりして心理学の勉強もしたと記憶しています。
工場勤務では毎日同じ顔をした人たちと仕事をしているので自ずと相手の性格とかは理解できますが、新しい顧客と面談するときは素性も分からない同士で話をすることになるので、面談の最初は製品の説明ではなく自身の会社の説明とか自己紹介をして相手と打ち解けるようにしました。粗雑でもコミュケーションが出来るようになると相手の要望も薄々理解できる様になり、必然的に失敗というような事につながることは少なくなりました。年齢を重ねるたびに経験を積むことで失敗は少なくなり、的確な行動ができるようになっていったと思います。事業部も計算機が売れない事情も分かっていたせいか、特に新規のビジネスについては期待が薄く、へまをやらかそうが失敗しようが、そういう悪い報告をしても精々課長から赤ペンで勘違いしたコメントが返ってくるだけという毎日でした。
本社異動後に或る製造業の顧客を担当されました、この顧客の課長が「私が営業マン教育をしてあげます」と言って懇意にしてくれましたが、酒飲みなので接待には労しました。この顧客と相当ねんごろな関係になった頃に、そろそろ計算機も古くなったので次期計算機のリプレースを提案しようというので社内をあげて提案をしました。新しい計算機の提案は役員の反応がありませんと情報システム部長からも告げられたのですが、当時の営業部長は業績が悪く数字が足りないというので私に仮でいいから注文を入力しろという指示があり、担当者としては上司の指示とは言え嫌々注文をシステムに入力すると、工場の部長から直々に私に電話があり本当に大丈夫かと詰問されました。そうしていた後、社内のあちこちから注文を疑問視されていた営業部長は顧客の役員を押そうとして面談をしましたが、結果的に次機種導入の提案は拒否されて失注ということになりました。
この時、私は営業職の教育中という時期で、顧客の状況を正確に伝えていただけのメッセンジャーボーイしか務められていなかったという風に思います。顧客の内部情報を懇意にしている課長からも聞いたのですが、役員の意向は分からないという状態だったので、営業部長なり事業部長なりを動かして顧客役員に面談し提案内容の受諾可能性について探るべきだったと思います。長年の付き合いのある顧客なので営業部長は油断していい加減な判断をして、営業担当者を悪者にしという事件でした。
こういう失敗をしてからは受注入力も本当に慎重にするようになり、大きな勉強代を支払ったものだと感じて、以後の営業活動では顧客とのコミュニケーションを一層重要視する態度になりました。
成功で学ぶことよりも失敗で学ぶことの方が心理的にはずっしりと重く感じられて、反省をして落ちこむこともあります。通勤途上の電車の中で失敗の自己分析していて車窓の景色もうつろに過ぎ去っていただけという思い出もあります。