40歳で転職するまでは非常に規律の厳しい、ある意味では開かれた監獄と言ってもいいほどだと個人的には感じていた程に息苦しい会社であると感じていました。そういう会社とは知らずに自身の趣味の延長線上にある会社というので訳も分からず入社したのが運の尽きということだったかも知れません。
監獄というたとえは的を得たもので、閉空間の環境の中で規律も指導されるし生活も或る枠の中に入ってしまうものになっていたと思います。転職した私はそういう枠組みから抜け出したという事ですが、大半の社員は定年まで同じ事業部で勤め上げるとなると、型にはまったサラリーマンとして終わってしまうと思われて個人的にはやっぱり耐えられないなという感想をもっています。性格的にも他人や組織から拘束されたり強要されるのに非常な反発を覚える様なところがあり、転職して苦労はありましたが解放感はあったと思いました。この会社にずっと居続けたら、自分の意志を殺して只毎日を決められたことをして過ごすだけという理由で多分に腑抜けになっていた可能性もあったかも知れないと思っています。
勿論この会社は今でもちゃんと存在はしていますが、私の転職後には日本経済の構造も変わったのに連れて、赤字事業部は全て同業他社との合弁会社にして切り離すとか、出来なければ子会社として帳簿上黒字になるような会社に仕立てるというような変遷を経て、表向きは業績好調という風に評価されているようです。多分、会社の本質は何も変わっていないので、社内の雰囲気は私が勤務していた時と同じで役所体質の保守的な会社で変わっていないと思います。
 
平日の日中に街中を歩いている定年後らしい老人を見ていて、その多くは服装に気を遣うというようなことも無く、地味でよれよれの服装で小汚い鞄を肩からぶら下げて歩いているのを見ると、自分を客観的に見られなくて過去の自身の慣習の延長線上で生活をしているという風に見えます。こういう人たちがサリーマンとして自己評価は別として、想像するのは大して仕事もしないで決められた環境で毎日を過ごしてきた人たちだろうなと思わざるを得ないという風に思っています。
先日、癌治療のために病院を訪れてから食堂で昼飯を食べていると、食堂の一角にあるテーブルを婆さん爺さんの集団が占拠していて延々とどうでもいいような井戸端会議をしているのに出くわしました。目的もなく只何の目的のなく世間話を延々としているというのを見ると、時間管理の観念が無くなっているし、自己実現などという自分のやりたい事も明確ではないとうのも現れていると思えて、サラリーマン時代に閉塞した環境で毎日を過ごした人たちの成れの果てだろうと勝手に想像をしてしまいました。
私の場合は会社という組織では仕事をして成果を上げるという事だけに注力するのが生き甲斐にもなっていたこともあり、会社という組織では変わり者だったと思います。しかし、仕事の厳しさを支えた趣味には大きな散財をして大いに反省をした時もありましたが、今頃になって時間に余裕が出来ると、漸く自分の望んでいた時が来たんだなと感じることがあるこの頃です。