職業上の教育というのは何も職場の上司や周りの職員からのアドバイスとか経験談を聞くだけでなく、自身で実体験したことの方が何よりも記憶に残るものになると思っています。教育というと抽象的で非常にあいまいな言葉に思えますが、自身の経験が積み重なって体に染みつくという事も教育といえるのではないかと思います。そうなると、サラリーマンの殆んどの人達が毎日の仕事を積み重ねた経験が教育の効果になっている筈ですが、例えば人事・総務・法務部門と言った職種ではルーチンワークの毎日だったり、定型業務の繰り返しという職種では中々働いている人たちは何か教育効果として得ているものは少ないのではないかと思います。
それが営業職で新しい顧客を見つけるという仕事になると急に自身の能力や行動力のハードルを上げざると得ない事態となり、色々な体験から教育とか教訓とかいうものを得ることがあると思います。営業職でも、ルーチン的な定型営業や組織営業とか多種多様ですが、私が経験したのは個別営業という自身で道を開くという開拓精神がないと出来ないような仕事でした。そういう開拓者が小さな場所を巡って争い事が起きるのは、開拓する中でも少しでも楽をしたいという人間の本来的な欲求があるからだと思いますが、私もそういう小さな開拓場所での争いごとに巻き込まれて、世の中は弱肉強食の世界だと嘯いていた人もいましたが、それは違うだろうという教訓を得ました。よさそうな土地だからと言って他人の土地を無理やりに自己のものにするというのは、サラリーマンとして手っ取り早く目立ちたいという人間の根源的な欲求の表れだと思いましたが、そういう行動には自己本位の考えしかなく、組織としての成績向上につながるかどうかは非常に危ういものがあると感じていました。しかし、そういう行動をしても能力のない目先ばかり気にする管理者は大いに評価をしていたという現実があり、赤字事業部という何か特殊な小さな世界では小さなパイを巡って争い事をするのが普通になっていたのかもしれないと考えています。
上司に認められたいという気持ちが強いと体面を気にすることに意思が働き自己本位になるのかなというのが私の得た教訓で、逆に私はそういう態度とは真逆な自然体で困難な仕事を大汗をかいて行うことになり、成果を上げても上司からそれほど褒められることもなく、上司が部下に近寄るのは沽券にかかわるとばかりに、上司は自席を動かないでちちらと眺められているのは何とも変な職場だと感じていました。しかしながら、そんな事を気にしていても仕方がないので、上司よりも自分の方が余程度量もあるし人間的にも心は広いと考えると、そういう凡人で部下を兵隊としか思わず上司の目ばかり気にする上司には、心の中は明かさず普通に付き合うしかない思うようになったのは、サラリーマンとしての教訓だったと思います。
赤字事業部という本質、大して成果も上がらない組織の本質とは何かというのを営業マンとして電車で移動中や満開の桜の咲く道を歩きながら考えることはよくありました。そういう組織に配属されたというのも何か運命的なものがあったのか、それとも余程自分の前世の行いが悪かったのかなと思うことも度々でした。
業績が赤字とか悪いとかという組織は、会社という組織の中で生き残りを図らねばならないので自然の成り行きとして目先の事にしか考えが及ばない事が多く、そうなると益々やる事なす事が硬直してしまい悪循環に陥って最後の日を迎えるという事になるように思えています。これもサラリーマン48年の経験から得た教訓だと思います、長年にわたる仕事をして教育をうけた教訓なので間違いはないいう確信は十分にあります。