40年も以前のことを思い出しながら総括して書いていると、何時も元気でバリバリと働いている時ばかりなくスランプの時期が何度かあったのを思い出します。営業マンとして一通りの仕事を覚えた頃、30歳くらいの時には毎日を同じ作業の繰り返しばかりの単調なので、このままだらだらしながら定年まで行くのかなと思うと何だか一生懸命に働くのが馬鹿馬鹿しく思えて、体もそういう心が芽生えると芯が座らないような感じ
でした。そういう態度を見ていた上司から「最近、単に仕事をこなしていればいいとい風に思っているんだろう。仕事は熱意をもってしないといけない」と諭されたのを覚えています。
当時は事業部でのゴルフ大会とかバス旅行とかあって、そういう行事でも幹事を指名されたりしたので、会社員として負け犬事業部から逃れられないという風に割り切るしかないかと思って、営業職というのを定年まで続けるという諦めが覚悟を決めるという心境になり段々と本来の自身の積極性が出てきて、仕事に対する意欲も出てきたという経緯があります。サラリーマンを4・50年もしていると誰もが何度かは壁にぶち当たって、それを乗り越える人とそうでない人がいると思いますが、これも人生の一契機だろうと思います。
バス旅行の幹事として一泊で近隣の温泉地に行くのですが、バスに乗った途端に温泉ホテルに到着するまでは酒を飲ませろというリクエストがくるので、私は幹事に指名された恩返しで安い酒を大量に買い込んで、銘柄品のウィスキーとか日本酒とか偽って飲ませて散々に酔わせるのが日ごろの恩返しとして痛快に感じる時でした。散々に酔わせても事業部の社員は温泉ホテルでは、徹夜麻雀とかエロビデオ鑑賞とかに夢中になっていて、私はそういう連中の心境は全く理解出来なくてさっさと寝る変わり者に見えていたと思います。
こういうスランプの時期を何度か過ごすと、会社というものがどういう場所であるかを再認識することができて、上司におもねても所詮最後はどう処遇されるかは時の運みたないものがあるので、自身で考えた道を進むのが最善という結論に至ったのも一つの学習効果であったと思っています。当時、赤字事業部というのもあって特に部課長の息が掛かっているとみなされると、部課長の移動とともに息のかかった社員は地方転勤という裏ルールがあり、私が転職するまで本社に13年も在籍したというのは珍しいという事例でした。
本社の事業部では、社内・関連会社・取引バーターという王道の顧客を担当するという事は無く、新しい顧客を発掘するという厳しい道を歩くばかりの日常を送りました。営業職の最初の頃は既存の顧客を担当して、大抵は情報システム部長は私より年配で、年齢的には情報システム部長から見ると自分の息子くらいの年なのでかわいがられたという記憶もありますが、30歳になってから新しい顧客の発掘という苦難に満ちた道を歩いたので、過去のいい思い出はその時には忘却の彼方にあったと思います。
 
数え切ないほどの会社に電話をしてダイレクトメールを送ったり、アポイントが取れれば面談に訪問したりしていました。直属上司が大学の野球部出身というので体力があり私のようなひ弱な人間を引きづり回わして、営業の基本指導をして、2回3回と繰り返し訪問して相手と仲良くなる方法を教えてもらったりしました。契約もない新規の顧客と打ち解けるとはなかなかに難しい事でした。新しい顧客から温情で提案の機会を得たりしたときは、契約には至らないと思いつつも提案の機会を得ただけで何となく人間関係が深くなったようにも思えた時もありました。
製品が知名度も無く、技術的にも特徴が普通とは少し違っていて色々な課題が多くあって売るのが非常に難しい製品という事もあり、コンピュータ販売は一筋縄ではいきませんでした。私が自分の勤務する会社とは全く無縁な会社から何度かコンピュータを販売した時、顧客から言われたのは「あなたの熱心さが、技術的な比較より優先されました」という言葉が出るほどのものであったというのは鮮明に記憶に残っています。
新しい契約のない多くの会社を訪問するという時は、その会社の属する業界情報も話を聞けるし、同時にその会社の利用しているメーカー情報も聞けるので、自身の情報量は業界の雑誌よりも早いし多かったという風に感じていました。これも王道を歩かなかったから他の営業マンとは格段に違う知識量を得ていたと思っていました。