サラリーマンというものは毎日を決められた通りに仕事と称する定型業務をするのがルールですという社風の会社に在って、私の居場所はあったのかというのは甚だ疑問でした。特に50歳頃に事業部長からパワハラを受けたのがきっかけとなり何処となく社内にいるのが嫌になり、自分の居場所というのは営業という仕事柄から顧客の事務所に一部はあったのかなとも感じています。
新規に契約した新興企業の癖のある課長からあらゆる難題を持ち掛けられても、部内どころか社内の誰かの手助けを得ることは無く全て自分で対応していたのは、まるで社内の個人商店でも営んでいるような気持ちでした。
振り返ると難題を持ちかけられるだけの信用を得ていたという事が裏側にはあるのですが、一番の苦労は外資系コンピュータ会社が大枚の裏金を渡している事を説明されて、私にも裏金調達を求めてきた事でした。私の勤務している会社には損害を与えないのでという前提で、買いたいものでもあるように説明をされて、お願いしますと言われると断れずに策を考えざるを得ませんでした。そういう事は何度も繰り返されるので、慣習のようになっていましたが、その裏金を渡す度に新しい契約はどんどんと積み上がる状態となったのでした。
そういう並々ならぬ苦労を何も知らない管理者や役員から見ていると、投資とか努力もしないで自然に契約が増えているという風にしか見えていなかったと思います。高齢の安い給料を貰っている人が、何の支援も無い環境で高い利益を上げている構図は、今どきのブラック企業そのものではなかったかとも感じています。本当にボランティア精神がなければ出来なかったという事だと思います。そういう意味でも、本筋のサラリーマン道を歩いていなかったのだとの思いがありました。
苦労しながら裏金対策をした後には、イベントで集客を求められて100人程を集めて欲しいと言われて、何の仕事をしているかと疑問に思いながらも八方手を尽くして終わった時には、達成感というようなものではなく疲労感だけが残りました。こういう仕事とも言えないような顧客の要望に応えるというような事は、私の勤務していた会社の社風から言えば、阿保かと言われて一蹴されてしまうような事で何も対応しないで終わるような内容だと思います。尤も、こういう事を要求されるような関係を築き上げることもできないで、普通の付き合いしかしなくても結構です、と言い切るのが私の勤務していた会社の社風なので、そういう面でも全く違うことをしていたと思います。しかしながら、こういう仕事の仕方をした裏側にはパワハラ受けたというマイナスの感情があり、何としても顧客との関係を重視したという気持ちの表れでもあったのだと思います。
こういう裏方稼業の成果で、この新興企業との契約は最初の年から10年も経過しないうちに30倍くらいまでに増加したので、社内でも無視できない位の契約規模の顧客になったのも皮肉な出来事だったと思います。
パワハラを受けた後、新規に契約したのは何でもありの新興企業とお堅い役所風情の会社でした。この役所みたいな会社は仕事の性格上成長しない事業であり、決まった範囲での仕事しかありませんでした。
一定のサイクルで小規模の契約を貰うという形でしたが、規模が小さいだけに利益については配慮が必要だと感じていました。この会社とは新規契約を貰うまでに10年通い、その後10年で少しづつ契約を増やしていったのですが、それでも他社契約から切り替えてもらって小さいながら契約は増やすことができました。そういう地道な努力の結果契約できた、最後の新システム開発契約では社内やくざみたいな部署に委任したことで大いなる過失を起して事件となったのは、私のサラリーマン人生にとっても大きな汚点として残るものになったのでした。