こうしてサラリーマンとして50歳代を書いていると、私のサラリーマン人生のある法則を見つけたような気がします。給料の対価として長年仕事をしてきたのですが、会社という組織の中では色々な職種があるものの、職種を超えるところではいつも新しい事にチャレンジし続けたと仕事のありようであったとも思います。
20歳代、新入社員の頃は日本初のジェット輸送機の航法装置を日本で初めて開発するというプロジェクトに参画して、右も左も分からぬ内に何とか自分の設計した機材を飛行機に搭載することが出来ました。異動した本社の電子計算機営業部では、見習いで既存契約企業から営業マン教育をしてもらい、30歳代の頃、日本最下位メーカーとして某外資系大手コンピュータメーカーに競り勝った事もありました。その後、新規事業としてCAD事業担当をしました。
転職した40歳代には、CAD関連機材を自動車メーカー、機械メーカー、印刷会社、百貨店という大手企業に新規に契約をしました。異動した子会社のデータセンター営業では、食品会社、広告会社、通信会社という大手企業と新規契約をすることが出来ました。50歳代にはパワハラを受けて担当顧客を全て失ったのですが、その後自らの行動とチャンスを生かして新たな企業と契約をすることが出来たのでした。
こうして振り返ると、サラリーマン人生を通して何時も新しい事ばかりにチャレンジをさせられていたという、スピノザ的な神の存在を信じざるを得ないという事かなとも感じています。
転職後の会社は新たな事にチャレンジをする気合など全く無い気の小さい保守的な風土の会社なのに、一人だけ異物の様な存在として勤務していたという事かも知れないと思います。サラリーマンとしては何時も傍流に置かれて、相当に普通のサラリーマンに比べて変わった道を歩いたというよりも、歩くために自ら道を作らざるを得ない状況に何時も置かれ、孤立無援の中を一人で道を歩んできたのかなと感じています。
50歳代の会社の社内環境は、まさに孤立無援で黙々と業績を上げるという事を考えながら仕事をしていても、誰にも感謝もされないし、まして礼なども言われないという環境であったので、自然と新たに契約をした顧客との関係を重要視したのは当然の帰結ともいえるかも知れません。そういう顧客重視の仕事の仕方が、自分が意図しないのにも関わらず、仕事に対する使命感も重なり合ったどうかは不明ですが、業績向上という事実が成り立っていったというのも大いなる皮肉であったのかなと思います。
特に新興企業の顧客から信頼できる営業マンというレッテルを張られると、何事につけても相談されるという様な形に陥って頻繁に呼び出されては、夜になるのを待っては酒飲みに連れ出されるという事になり、自腹を切ってでも接待を継続した理由の一つには社内における自身の疎外感と言うものもあったのではないかと思います。
この自腹接待が毎週1回どころか2回ともなると気分も優れず、それに加えて相手が部下を呼んだり、2次会も同行させられたりとして、毎月のカード支払いが不安になる事が10年近くも続いたのは、サラリーマン人生が終点近くになって破れかぶれの心境でもあったのかなとも振り返っています。
50歳代のサラリーマンとしての生活実態は、仕事も大変、接待も大変、というストレスに満ちたもので、何時になったら少しは楽になれるのかねというのを時々は考える日々でもあったと思っています。