サラリーマン人生の最終段という場面でえらくひどい目にあったのですが、運目の糸は切れることなく再び私に裸一貫で切りなおして仕事をさせるように仕向けたのだと思いました。事業部長によるパワハラで私の担当していた顧客を全て取り上げられるまでは、私の契約は多分小さな会社が出来る程の規模だったと思いますが、それが全て無くなりゼロとなったのですが、割合に早く新しい契約が新興企業の顧客と出来て毎年契約を増加させていったのは、私の努力というよりも顧客の成長が早くて投資が進んだという幸運にも恵まれたこともあったし、相手を取り込むことに成功したこともあったのだと思います。
一時は全ての顧客を取り上げられて毎日が暇でどうなるのかなと思っていたら、今度は新しい顧客が出来ると毎日が多忙になる日が続くという何とも皮肉な結果になったのは、私自身がワーカホリックという傾向があったから自然とそういう方向にむかったのかなと思います。私の勤務していた会社では極めて特異なケースでもあったし、割合に普通の会社でも希少な事例ではないかという風に感じています。
私に対してパワハラをした事業部部長がいなくなると、次々に新しい事業部長が異動してくるのですが、私から見たら年功序列で順番に座っていたのかなという風にしか見えませんでした。中には明らかにゴマすりで事業部長になったと想像される輩もいて、当然の如くそういう連中は交際費だけ使って業績は伸びないという結果に終わっても、特段に叱責されることもなく次の異動先に移るという事もあって、何処かで読んだ小説を地で行く何とも素晴らしい会社だなと思わせる時が多々ありました。
私の勤務していた会社では、基本的に自身でビジネスをしたことが無い人が事業部長とか役員になるので、人からの噂とかマスコミの話とかというのを自身のフィルターも無くそのまま信じて、やるべき事業をたいして調べたり自らの企業の実力も推し量ることも出来ないままに、自身で妄想を描き起こして部下に指示したりして新規事業を始めるので、当然の結果として企業は成長するどころか横ばいをつづけるのが精一杯という結果になるのは当然の事だろうと見えていました。一旦始めた事業でも先行きが危ういのはどんどんと切り捨てることもしないので、はたから見るとツケがどんどんたまっていくという風にしか見えず、先代からのものなので大切にするという江戸時代以来の風習が残っているのかという、一種独特の文化のある会社だと思えました。
50歳代の私の立場は、中年のやる気があるのか無いのか分からない様な大勢の平々凡々の社員の間では、一人で仕事を完結させるので誰も口出しが出来ないような状況になっていったのは自然の成り行きだったと思います。50歳も後半になると、私自身の毎年の業績はパワハラを受けた以前よりは落ちるものの、圧倒的な額の利益を稼ぎ出していて、社員としては年齢からして毎年給料が下がるのは仕方が無いにしても、業績は毎年上がるという奇妙な構図が出来て行きました。50歳始めに売上ゼロから出発して60歳の時には、社員として決して劣ることのないレベルまで社内の誰の援助も無しに築き得たのは、ひとえに転職前の会社の社員教育の成果ではなかったかと感じることがありました。実のところ当時の私の心境としては、誰の協力も得ずに(会社としては何の投資もしていない状態)、これほどに業績に寄与しているのに対して、会社からは手数料として億単位で私に支払ってもらっても何の文句も無い筈だというくらいに思っていました。
私の仕事ぶりについては、こういう事態なっても、社内の役員とか事業部長とかからは何の感謝の事が無かったのも社風というべきものかと思いました。年末年始の挨拶でも一言「有難う御座います」という言葉が言えないのか、それとも社員だから当たり前だろうと思っているのか、どちらかだとしか思えないと推測していました。こういう社員が打ちそろっている会社に勤務していたのは運命とは言え、何処かに欠陥があるような会社であったのかとも思っています。西田幾多郎の「絶対矛盾的自己同一」が出来ない会社ともいえるのかなとも感じました。