私が50歳代の頃、循環取引で粉飾決算を続けていた事業部長から、私は担当顧客を全て外されるというパワハラを受けた後に待ち受けていたのは、驚くべきことに新しい顧客との契約が出来たことでした。
当然ながら、私自身は事業部長のパワハラに対してすごく気分を害していましたが、毎日やることも無くなる方が性格からすると嫌だったという事もあり、かってデータセンター顧客開拓で訪問したことのある顧客を何件か回るうちに、ある顧客から小さなシステム開発案件の見積依頼を貰い、事業部としてはメニュー外の仕事でしたが私にとっては手の内の仕事だったのでさっさと顧客との価格調整をして契約に至ったという事でした。この顧客は以前データセンター提案したものの他社に決まったという過去がありました。しかしながら、担当部署としては私の勤務する会社の提案を推してくれたという経緯もあり、その後毎年年始挨拶だけ7・8年も通っていました。お互いに気心が通じるような顧客であったと思います。小さなシステム開発の契約が成立した時、捨てる神あれば拾う神ありという故事をそのまま地でいっているような物語だと感じました。
この新しいシステム開発案件に加えて、たまたま別の営業マンが新規顧客の引合いを担当しているうちに自分の手に負えないというような事になり、私にお鉢が回ってきました。私が引き受けて後は、一気に契約をまとめあげたというような一件があり、新しいデータセンターの顧客を契約するということができました。
こうなると事業部長は内心ますます私が嫌な奴に見えたというのは、廊下で顔を合わせた時やすれ違う時の表情でよく分かりました。事業部長が担当部長に降格するまでの長い長い間、サラリーマンなので仕方ないという風に思ってはいましたが、かなりのストレスを感じながら毎日を過ごしていました。
こうして新しく契約した二つの顧客を私は退職するまで10年以上も最後まで担当しました。どういう訳か一方の顧客で仕事ができると、もう一方の顧客は暇になるというようなサイクルが毎年続いたので、一年中仕事が絶えないという状況がつづくことになり、これはこれで面白い現象であると思っていました。
又、この二つの顧客の体質が真逆で、一方は真面目一筋という堅い体質なのに対して、もう一方の顧客は急成長しているという事もあってハチャメチャな側面がありましたが、両方の顧客とも私の長年の営業経験を存分に活かす事ができて、当然の如く毎年契約を増加させるという努力をするという日々を過ごすということになりました。同時に、職場の社員よりも顧客との信頼関係が深くなり、事業部長からのいじめに対するストレスを顧客との会話で解消できていたのではないかとも思っていました。
こういう立場になると、一匹狼的な存在に思われるのですが、業績寄与は他の社員を圧倒するものがあったと思いますので、泥沼のような社員が打ちそろっている体質の企業の中にあっても、ちゃんと花を咲かせる事が出来る存在であるとは誰も見てはいなかったというのは認識ができていたので、そういう心情を持たせることになったことは不幸であるなという風に感じていました。