3月から新しい勤務先への通勤時のちょっとした変化が楽しみみたいな毎日を1年間も過ごすことになったのも、サラリーマン生活を締めくくる最終年と自分では決めていたと心構えでいた事も踏まえて考えると、サラリーマンの現役時代には仕事の成り行きばかり気を使いすぎて毎日の子細な変化に気を留めなかったような過ごし方をしていたのだというのを改めて思い知らされるような気がしたのでした。
写真撮影が趣味というので、小型カメラは鞄に中に忍ばせて毎日通勤途上や顧客に出向く時にも持ち歩いていたので、歩く途上での季節の移り変わりとか気をひかれた風景とか、特に桜の写真は数え切れぬほど撮影をしていたものの、そういう写真は殆どを一度だけ見ては捨ててしまっているので残されているものは数少なく、過去に小型カメラで撮影した写真を改めて見直してみると意気揚々と撮影した筈のものがたいしたものではないという事が分かりました。振り返ってみると、小型カメラでの写真撮影という行為は毎日のストレスからの解放という意味合いがあったのかも知れないとも思えるのでした。そういう通勤途上で撮影した写真を雑誌社に送付して何度か入選したものもあったので、全くの見当はずれの写真ばかりではなかったのだろうというのが唯一の救いとも感じています。
 
早朝、新しい勤務先への通勤で地下鉄を下車してから勤務先のあるビルまでの20分程の歩きで感じたのは、早朝には日中ビル街を多くの人々がせわしく動き回っているのは隔絶された違う世界があるように思えました。ビル街の歩道を通勤途上に歩く人も少なく、自分の存在が大きなビル群に対しても大きく感じられたのでした。早朝にブランドショップのショーウィンドウを見ても沈黙した静寂さを見せているだけで、ショーウィンドウにビルの隙間から射す朝日が当たってきても驚きの感情が湧き出ることはありませんでした。通勤の帰り道では様相が一変して、ビル街に人があふれ出て自分も蟻のような群れの一粒になり、ブランドショップのショーウィンドウも照明がつき始めると見栄えのする景色に変化に驚くのでした。
このビル街を抜けて大通りを渡ると、夜には賑やかになるらしい飲み屋街の裏通りの路地を抜けてから、少しばかり狭い道の歩道を歩き途中の公園を見ながら、再び大通りを抜けて公園の中を経由して、先にある小学校の横を歩き勤務先のビルに至るという経路を歩きました。
前回に紹介した「ママがいい」という嬌声を発していた子供いた場所は、小学校の横にある交差点での出来事でした。

毎日の仕事がデスクワークと言いながらパソコンで何らかの操作をするばかりの作業でしたので、口さみしくなるのを感じて毎日コンビニで少しのお菓子を買っていくという風になりました。毎日体を動かさないので、これが体重の増える原因ともなったのかもしれません。
都会のコンビニでは日本人ではなくて外国人が多いというのも知らされて、毎日通っていると気づきのよい中国人らしい若い女性からは「袋はいらないですね」という風に先に言われたりするのでした。その店ではレジ係の5人ほどが全員外国人で中国人ばかりか、色黒のアジア系らしい若い男性もいました。その若い男がお釣りを時々間違えるので、注意をしてお釣りを確認しなくてはいけないという事に気づきました。この若いアジア系の色黒の男のレジでお釣りをもらう時は金額確認をすることにしていました。レジの横では店のオーナーさんらしい小太りの年配男性がうろうろしていましたが、こういう事が起こっていても客が流れる水の如く次々と来るので構っていられないという風情に見受けられました。
少し急いでいた或る時、レジ係のアジア系の色黒の男が渡したお釣りを確認しないまま握りしめて、大通りの横断歩道を渡ってから手の中を見るとお釣りが全然足りないので愕然としました。この一件があってからは、このコンビニを利用するのは辞めて別の店を利用するようにしたのですが、繁盛店では人で不足からこういう事も起きるのかなという貴重な体験をすることができました。以後、別のコンビニを利用しましたが、お釣りが足りないというようなことは二度と経験することはありませんでした。
大繁盛しているコンビニがある大きな通りを挟んだ反対側のコンビニは割合人が少なく、通勤途上の人の流れからほんの少しでの離れると随分と人の入りが違うものだというのも分かって、小売り商売の場所柄の重要性というのも認識することができました。