スケジュール上、10月から開始されたシステム開発の制作フェーズは6カ月もあって、その期間は顧客の情報システム部員は一休みのような状態となり、毎週開催されるプロジェクト会議も本当かどうか全く分からないままにプログラムの製造は順調に進んでいますという報告が、システム開発を受託した事業部から行われたのでした。
システム開発の基本設計フェーズでの色々な面倒な事件があって、営業部長は逃げの一手だけなのを冷ややかに見ていた私は自然と距離が出来て、12月の某顧客の忘年会会場で嘱託契約の延長をしないとの宣告をされたのでした。翌日、私は顧客の情報システム部長を訪問して派遣での社員採用をお願いして1年半という期間の勤務をすることになったのは以前のブログで紹介した通りですが、その他にも社内では出来事が起きていました。 それは、私の部下の新入社員が転職するという事件でした。職場というよりも営業という職種に不満があったようで、自ら外資系コンサル会社への移転を決めたという事を告げられたのでした。
私の営業の片腕というよりも事務処理を一手に任せていたので、一人前になるずっと手前で会社を辞するのは如何なものかというようなアドバイスをするにとどめました。本人は会社を9月末に退社して、10・11月はカナダでホームステイして語学研修をするというのですっかり自らの道を決めていたので何も言うべきことはありませんでした。色々な人生があるのだなという風に思えると同時に、私は会社という砦の中でしか生活を出来なかったので、会社を辞めて語学研修をホームステイでするという発想には若者らしいという驚きだけが残った事件でした。
この時、結構なかわいがりを見せていた営業部長は怒り心頭で、自らの評価が下がるような事をしやがってという様な態度をあからさまにしていたので、外目から見ると気の小さい人間だというのが分かってしまうような気がしました。それは、このシステム開発の基本設計での顧客対応にも表れて、社内のろくでもない情報を信用して顧客の情報システム部長への対応を全くしなかったとか、偽装された作業の見積書や決裁書に内容を確認する事無くめくらばんを押していたとかも、そういう人間性が現れていたというのを、この新人の退社騒ぎで再確認したということになりました。
この年に、顧客ではシステムの災害対策としてシステムの一部移転が行われて、これも1月から別プロジェクトで走っていたのですが、こちらは特段に大きな問題も無く進んで、年末にはサーバーや関連機器の自社ビルからデータセンターへの移転も終了しました。移転の際に、忘れ物があるといけないといので、運搬する要員や車に予備を準備していたことが当たって、2度目の予備配送で忘れ物をデータセンターに届けるという事も経験して、物事には予備ということが重要だと思い知らされたのでした。
システム開発の基本設計でのごたごた中にも、何度か他ベンダーとは言わないまでも、社内の他の事業部で引き受けてくれないかなと考えたこともあります。システム開発を受託した事業部では自らの能力はさておき、自らしている仕事がまっとうなものであるという固定概念しかないような連中の集まりなので、自らの仕事がおかしいとは思わないし、反省とか客観評価が出来ない程の能力レベルの集団なので最後まで実現は出来ませんでした。データセンターの移転のような単純な作業でも忘れ物をするようなことが起きるくらいなので、ましてもっと困難なシステム開発においては受け皿としての他者が必要ではないという事を、深夜の移転作業確認中に思った時でした。
顧客の情報システム部長は、システム開発を受託した事業部の基本設計での余りの酷い対応に「稟議がお宅の会社で通っているので今更会社を変えてとは言えないが、せめてまともな人にお願いは出来ないかね」というような話題が私との会話に登ったこともありました。顧客が「お前は首だ」というのをはっきりと言えなかったのは、会社の風土からすれば仕方なかったと思いますが、システム開発等の難しい仕事に対してはそういう事が言えるくらいの判断力や行動が求められるのかとも感じました。