私が勤務していた会社が最初に建築したデータセンターは以前にも書いたように、某外資系コンピューター会社の営業マンの口車に会社の役員が乗せられて建築した経緯がありました。建築当時の建築責任者は私が異動して営業を始めた時にはとっくに左遷されて別の子会社に出向していました。たまたま私を転職に誘った男と駅のホームで話をしている時に現れたのが最初で最後でした。真面目そうな人なので、データセンター建築も親会社の建築事業部から言われるがままに作ったのだろうなというのは容易に想像がつきました。真面目が悪いわけではないのですが、そこには普通に考えて常識的な判断が無いとおかしなものができてしまうと考えさせられたのでした。

2つ目のデータセンターは自分が選定したというので、自然と愛着と言うのがわくのは当然でした。データセンター見学で顧客を玄関前で待っている時も、周りの木立の様子や、季節によっては植栽の紅葉の様子などを見て長時間立っていても苦にはなりませんでした。そういう私の様子を見ていて、隣の小さな公園で遊んでいる子供が不思議に思ったらしく「おじさんは何でそこにいるの」と金網越しに質問されたこともありました。
このデータセンターは高層マンションに囲まれていたので不思議な立地だと最初思ったので調べてみると、元々はバブル末期にマンションとして建築しようとしていたのが資金繰りがつかず、情報会社に売却されてデータセンターに作り変えられたというのが分かりました。建築途中で作り変えられたので、各階のエレベータホールはまさにマンションではないかと思えるような小奇麗な作りになっていました。
同時に住宅地なので、どこにでもいるらしいという某政党を名乗る騒音にはやたら五月蠅い輩がいたので、重量物の搬出とか搬入は日ある時間帯しか行えないという不便さがありました。通常は深夜に機器を搬入して徹夜で組み上げて朝にはサービス開始するというような、一般的にコンピュータシステムを構築するというような時には配慮が必要と言う事が欠点でもありました。

最寄りの地下鉄の駅からこのデータセンターに来るまでは6・7分かかる場所でした。その途中には私が好きな昔ながらの八百屋がありました。データセンターで徹夜作業がある時には、この八百屋で美味しい蜜柑を選んで差入するのが楽しみでした。八百屋の親父が蜜柑の能書きを聞くのが楽しかったということかも知れません。昨今のスーパーマーケットしでは商品は見たままの物ですが、昔ながらの八百屋の親父の威勢のいい声を聴くと蜜柑もより美味しく思えていたのでした。
元来、学生時代に4年間も学生寮という共同生活を送ってきた経験者は、データセンターで徹夜作業があると聞くと、作業する技術者に対して何かしてあげなくてはいけないと言うような発想が常に湧きました。転職前の会社の顧客でコンピュータを徹夜で設置する時などは、室長の奥さんが味噌汁を作り室長自ら現場に持ってきたという経験もしている人間なので、転職した会社の文化とは全然違うと常々感じていました。
私の勤務していた会社では、技術者のやる仕事に営業マンが立ち会うのかという事は必要無しというのが普通の考えでした。それは決められた仕事を決められた通りやるのが当たり前という縦割りの役所仕事の流儀が会社の風土でした。お互いにやるべき事だけきちんとやる事が間違いかね?と言われれば筋は通っているが人間性は無視をする役所体質が見えて、自己保身主義がまかり通り、それが顧客に対しても同様に行われるという会社でした。