データセンターが満床となり、頭の悪そうな顔をした事業部長は体裁ばかり気にする社長から売上増のために新しいデータセンターを探すことを申し渡されたのでした。会社としては毎年少しでも売り上げを上げて形ばかりを良く見せたいというのは凡人の社長ならば誰でも思う事で、社員の能力とか世の中の事情などは分かっていないので何かの拍子に他人から強く言われると簡単にそういう話に乗ってしまうのだろうと推測していました。
私の勤務していた会社の社長は人の良い人格者もいましたが、理由は不明ですが中には表面ばかり気にする凡人が多く社長になっていました。多分、そういう人を社長に据えた人物も同様な部類の人間だと思います、まさに類は類を呼ぶ格言が生きていると感じておりました。
私が自分の受注した顧客の営業担当を外されて2年程も経った、平成12年位だったと思います。この位というのは理由があって、私が会社を退職するときには自分が書いた営業報告書も持ち出してはいけないと言われて、会社の人事部長が自宅に来て私のパソコンを調べて営業報告書を消去したので正確には言えないという意味です。しかしながら、私自身の事なのでデータが無くても脳みそには記憶のカスが残っているのでこうして書ける訳です。いやはや何とも嫌味な会社だと退職後も感じさせられたのでした。
当然ながら頭の悪そうな顔をした事業部長は私には声も掛けられないので別の担当者を子分に見たてて調査を始めたのですが一向に新しいデータセンターは決まる見通しがありませんでした。営業も御用聞き程度の能力の人間が新しいデータセンターを探すことが出来ないというのは当然だと思いながら、私はうろうろしている頭の悪そうな顔をした事業部長と若い担当者を横目で見て笑っていました。何とかしてくれんかねというような態度も見え隠れしたのですが、パワハラを受けた私は頭の悪そうな顔をした事業部長に部下だからいう理由でぺこぺこと頭を下げることはしませんでした。
三か月以上も経過しても何の成果もなく頭の悪そうな顔をした事業部長は若い担当者に無理な注文をするようになっていました。自分が出来ない事を部下にやらせようとしても無理なのは見ていても分かるほどでした。日本では大部屋で仕事をしているので、こういう時の状況と言うのも全て見聞きできてしまうのは、こういう不出来な仕事を周りに聞かれているというのは何とも不都合なシステムだと思いました。
私は暇なので自分なりに調べて仲介する会社もまともな会社とコンタクトをしていました。
そういう気持ちになったのは、仕事が暇だったという理由だけでなくワーカーホリックというような気質が身についていたという事と、頭の悪そうな顔をした事業部長が若い営業マンをいじめているのが何とも切なくて自然とそういう行動にいったと思います。
とうとうある日、私が自分で調べた仲介会社から得た情報の3か所程のデータセンターの情報を若い営業マンに渡したのが自分の仕事の始まりでもありました。
頭の悪そうな顔をした事業部長は渡りに船というような調子で私が調査した結果を聞いていたのでした。後日、実際に賃借検討の3か所のデータセンター見学しようというので頭の悪そうな顔をした事業部長を連れて出掛けたのでした。私は気分的にこの事業部長と近くと歩くのが嫌なので一番離れてあるきました。見学には、頭の悪そうな顔をした事業部長の他に若い営業マンと業務の担当者2名程と私の5人で一緒に見学して皆が納得する場所にしよう事でした。
データセンターの検討を始めて半年以上も経過していましたが、私が探したデータセンターで新しいデータセンター事業をしようという事に決まりました。データセンター採用の説明資料の作成は頭の悪そうな顔をした事業部長は私に話が出来ないので、間に業務担当者が入るという変な形でした。私と頭の悪そうな顔をした事業部長との関係を知っている業務担当者がいたので、ある意味では仕事が順調に進みました。私は新しいデータセンターの選定理由から、いい加減にでっち上げた事業見通しも全部私が書いたのでした。しかし、資料の説明をしたのは頭の悪そうな顔をした事業部長が体裁ばかり気にする社長にしたのでした。
私の勤務していた会社の社長は人の良い人格者もいましたが、理由は不明ですが中には表面ばかり気にする凡人が多く社長になっていました。多分、そういう人を社長に据えた人物も同様な部類の人間だと思います、まさに類は類を呼ぶ格言が生きていると感じておりました。
私が自分の受注した顧客の営業担当を外されて2年程も経った、平成12年位だったと思います。この位というのは理由があって、私が会社を退職するときには自分が書いた営業報告書も持ち出してはいけないと言われて、会社の人事部長が自宅に来て私のパソコンを調べて営業報告書を消去したので正確には言えないという意味です。しかしながら、私自身の事なのでデータが無くても脳みそには記憶のカスが残っているのでこうして書ける訳です。いやはや何とも嫌味な会社だと退職後も感じさせられたのでした。
当然ながら頭の悪そうな顔をした事業部長は私には声も掛けられないので別の担当者を子分に見たてて調査を始めたのですが一向に新しいデータセンターは決まる見通しがありませんでした。営業も御用聞き程度の能力の人間が新しいデータセンターを探すことが出来ないというのは当然だと思いながら、私はうろうろしている頭の悪そうな顔をした事業部長と若い担当者を横目で見て笑っていました。何とかしてくれんかねというような態度も見え隠れしたのですが、パワハラを受けた私は頭の悪そうな顔をした事業部長に部下だからいう理由でぺこぺこと頭を下げることはしませんでした。
三か月以上も経過しても何の成果もなく頭の悪そうな顔をした事業部長は若い担当者に無理な注文をするようになっていました。自分が出来ない事を部下にやらせようとしても無理なのは見ていても分かるほどでした。日本では大部屋で仕事をしているので、こういう時の状況と言うのも全て見聞きできてしまうのは、こういう不出来な仕事を周りに聞かれているというのは何とも不都合なシステムだと思いました。
私は暇なので自分なりに調べて仲介する会社もまともな会社とコンタクトをしていました。
そういう気持ちになったのは、仕事が暇だったという理由だけでなくワーカーホリックというような気質が身についていたという事と、頭の悪そうな顔をした事業部長が若い営業マンをいじめているのが何とも切なくて自然とそういう行動にいったと思います。
とうとうある日、私が自分で調べた仲介会社から得た情報の3か所程のデータセンターの情報を若い営業マンに渡したのが自分の仕事の始まりでもありました。
頭の悪そうな顔をした事業部長は渡りに船というような調子で私が調査した結果を聞いていたのでした。後日、実際に賃借検討の3か所のデータセンター見学しようというので頭の悪そうな顔をした事業部長を連れて出掛けたのでした。私は気分的にこの事業部長と近くと歩くのが嫌なので一番離れてあるきました。見学には、頭の悪そうな顔をした事業部長の他に若い営業マンと業務の担当者2名程と私の5人で一緒に見学して皆が納得する場所にしよう事でした。
データセンターの検討を始めて半年以上も経過していましたが、私が探したデータセンターで新しいデータセンター事業をしようという事に決まりました。データセンター採用の説明資料の作成は頭の悪そうな顔をした事業部長は私に話が出来ないので、間に業務担当者が入るという変な形でした。私と頭の悪そうな顔をした事業部長との関係を知っている業務担当者がいたので、ある意味では仕事が順調に進みました。私は新しいデータセンターの選定理由から、いい加減にでっち上げた事業見通しも全部私が書いたのでした。しかし、資料の説明をしたのは頭の悪そうな顔をした事業部長が体裁ばかり気にする社長にしたのでした。