私がデータセンターの営業を担当して5年も経過すると、私が受注した新しい顧客5社と、私が異動する前に契約をしていて私が営業担当をしている携帯電話会社を合わせた6社が私の営業担当となりました。その後、携帯電話会社を通じて交換機を納入している会社も事務所を賃貸したいというので、1階の茶室を壊して事務所に仕立てて貸し出しました。データセンターには親会社と一般の会社9社が契約をしていました。この6階建てデータセンターの契約社8社のうち私は7社の営業担当となり、このデータセンターを訪問するとまるで私がオーナーをしているような気分になることもありました。
一人で7社の対応をするというのがいかに大変なものかを多分当時の営業部長や事業部長は何も理解していなかったと思います。あの男が毎日あたふたしながら仕事をしているなというくらいにしか思っていなかったと思われます。何といっても私の勤務していた会社の役員以下管理者や担当者は、本当の意味での営業を経験していないので、理解しろというのが無理だったかも知れません。そういう歴史は今も引き継がれていて、日本の官僚機構同様に会社の筋というのは簡単には変われないと思います。
私の営業方針は何でも引き受けるというような事だったので、あらゆる困りごとが私のところに舞い込んで来ました。外注で使いたいシステムエンジニアの紹介をしてほしいとか、ソフトウエアの調査をしてほしいくらいは何とかこなせました。中には物流倉庫をデータセンターの近くに作りたいので土地を探して欲しいとか、飲料会社から競争相手の使っている缶の製造会社を調べてほしいとか、まあ本当に困るようなことも多々ありましたので、気苦労もたまりました。

元々忙しくて趣味の時間も無いとは言いながらも、土日にはぐったりしていても気分転換にならないので、書店の店先でカメラ雑誌にライカの写真をみてから私の収集癖に火がついてしまいました。30歳の初めの頃まで、逗子のアパートに住んでいたころには、近所に住んでいた課長からゴルフ練習のお誘いが無い限りは鎌倉や江の島を巡って写真撮影をするのが趣味でした。それが転職してからは仕事しかしない生活ですっかり忘れていたのですが、データセンターが満床になり新しい顧客を見つけるというハードな仕事から解放されてほんの少し心に余裕ができたので、再び写真という世界に入ることになりました。
当時はクラシックカメラがブームでとガラクタカメラがとてつもない価格で中古カメラ店に出ていました。今ではそういう事はなくなり市場もすっかり縮小して中古のカメラ屋も青色吐息で商売をしていると思われます。
クラシックカメラはライカのカメラだけでなくレンズにも凝りだすときりがなく途中であきらめました。今も残骸が防湿庫で眠っています。更に高画質のハッセルブラッドやローライフレックスとかを購入して悦にいるのが、ストレス発散をしていました。
そのうちに、カメラメーカーが主催するモデル撮影会なるものがあるものを知って、望遠レンズを購入して撮影会に行き、何百枚と撮影したネガから何枚か四つ切に引き延ばして投稿するのが楽しみになりました。何度か入選したのですが、考えてみれば大勢のカメラマンが撮影するので大抵はどれも同じようなものしか撮影できておらず、入選するしないは選者のプロカメラマンの気まぐれでしかないだろうと思うと何だかバカバカしくなって最近では行くことも無くなりました。
又、写真撮影のために50ccバイクを利用して都内を異動していましたが、遠くに行くにはバイクが必要かなと思い立って教習所で大型バイクの免許も取得しました。毎週日曜日だけでしたが、半年ほど通ってバイクの普通と大型免許を取得しました。
悪い事に教習所に毎週通う途中にハーレーダビッドソンの販売店があって気になっていましたが、大型免許取得後直ぐに後先考えないでハーレーの大型バイクを取得してしまいました。
50歳を過ぎてから年寄りの冷や水と思わるような、カメラ収集、写真撮影、それにバイク免許とかを取得して休日をすごしてストレスを発散するようになりました。いい事か悪い事かは分かりませんが、いずれにしても金はたいそうかかりました。