携帯電話のサービス用にパソコンを何百台も設置したお客様とデータセンター契約を結んだのは、私がデータセンターの営業を担当してから5年程も経過していました。私が小ぶりの顧客を次々と受注しても未だデータセンターの6階と5階の半分が売れ残っていました。
当時の事業部長は変人で薄い青色の入った眼鏡を掛けていたのが目立っていました。何か家庭の事情が複雑で離婚がどうのこうのというので、会話では触れていけないと言われていました。何もないときはトランプゲームをするのが趣味らしく飽きないで毎日朝から晩までゲームをしていました。

この変人の事業部長は、自分の部下として後に事業部長になった頭の悪そうな顔をした営業部長と真面目一筋の技術者を連れてきました。事業部長は前任事業部長が子分として連れてきた技術部長を直ぐに担当部長にして、その後釜に自分の連れてきた真面目一筋の技術者を技術部長に据えて、営業と技術の両部長を自分の子飼いの部下に据えたのでした。
営業部も、人の良いグループリーダーから営業部長になっていた人は担当部長になり、暫くして広島の通信会社に出向で飛ばされてしまいました。当人は「実家があるのでそこから通えます」と言って負けん気でしたが、東京にマンションを購入したばかりで、単身で赴任しました。
この事業部長は半期毎に事業部内の人を異動させるのが趣味らしく、どんどんと気に食わない人を他事業部や関連会社に出していました。
幸い私は営業マンとして注文を取ってくるというのが認められていて、事業部長から「好きにやってください」と言われていました。性格も変わり者同士というのがあったのか、私も気も使う事は無く、割合気楽に過ごせたときでもありました。それでも頭の悪そうな営業部長とはお互いに嫌な奴だと思っていました。

この変人の事業部長は、親会社が利用していた他社データセンターに設置していたコンピュータを新しいデータセンターに移転させることを画策して成功したようでした。当時親会社のコンピュータは晴海のデータセンターに設置してあり、移転すると新しいデータセンターの6階の四分の三は利用してもらえるので漸く満床の期が近づいてきて事業部の雰囲気も少しは明るくなったような気がしました。
親会社のコンピュータ移転は正月で、丁度私が受注した食品製造会社のコンピュータ移転とも重なり、12月31日から1月1日にかけてデータセンターは移転担当の人たちでごった返しました。1回エントランスは親会社のコンピュータを移転する数十人の技術者が食べた後の大量のカップラーメンの残骸が大きなビニール袋に捨ててあり、その匂いがずっと漂っていたのが今でも思い出すたびに鼻につくような気がするほどでした。
良い事は重なるもので、当時データセンターが竣工した時に入居していた携帯電話会社の事業が予想よりも5倍も成長するというような状況になり、賃料は高いながらと文句を言われながらも場所が必要というので借り増しの要望がありました。要望を入れるとフロアは無いというような事になり、5階の半分と6階の四分の一の場所に交換機を置いてもらう事になりました。
携帯電話会社が設置する交換機は大きな容量の直流を使うのでケーブルも太く、下から上に通すダクトが必要でしたが、データセンターが満床になると使えるダクトが無くなり、仕方なく既に契約している会社のフロアを一部借りてケーブルを通すというようなこともありました。
こういう時は賃料が高いと文句を言われる携帯電話会社の設備課長からも、契約書は急ぎですと言うと容易にもらうことが出来て気疲れも少ない時でした。
こうして漸くデータセンターは満床となり私は漸くデータセンター営業で新規に客先を探すという日々から解放されることになり数年は楽に過ごすことが出来ました。しかし、既に契約した会社からは毎日のようにあれこれと仕事が舞い込むので、相変わらず忙しい毎日で何もしないで過ごすことは出来ませんでした。