私がデータセンターの営業を担当した頃は携帯電話というのは高級品で価格も高いので普及が進んでいませんでした。それよりも手軽なポケットベルというサービスが最盛期で腰につけたベルがピーピーと鳴らしているのが最先端でしたが、このサービスも数年で携帯電話にとって代わられてしまいました。
私は入居契約をしていた携帯電話会社の営業を担当しながら、新規開拓で飲料会社のコンピュータを私の勤務していた会社のデータセンターに移転させた後に、営業部に人のいいグループリーダーが着任しました。当然ながら社内の中の異動なので余剰要員だとは思いましたが、真面目な人なので私と同類と思われて仲良く過ごすことが出来ましたが非常に短期間でした。この人は営業部長に昇格しましたが、事業部長が変わり者の事業部長に変わると随分と遠くの支社に転勤させられ、この変わり者の事業部長が頭のわるそうな顔をした営業部長を古くからの知り合いというので連れてきたのでした。

立腹するようなことも少なかった短い期間に、人のよいグループリーダーから「新規に携帯電話事業をする会社からデータセンターを探しているという情報あります」という話を聞かされて、私がその会社を訪問することになりました。今では有名な大きな携帯電話会社に成長していましたが、当時は未だ通信会社の子会社という立場だったのでデータセンターも親会社の購買部門が代行して行っていました。その通信会社は場所も風情ある半蔵門の近くでビルの入り口にある桜が印象に残っています。
この時の競争相手はリクルートコスモスという今では無くなった会社でした。条件がパソコンを数百台設置するだけなので、運用をするというなどのサービスは不要でコンピュータの知識も無い不動産会社と私の勤務していた会社の最終2社が残ったのでした。通常はコンピュータを扱っているので、少しはコンピュータをかじったことがある営業との競争になるのですが、この時ばかりはガチンコ価格勝負だと直ぐに理解ができました。
完全に価格競争のみで対向せざるを得ない状況を考えて一計を案じました。私の勤務する会社のデータセンターは通常の不動産賃貸とは違いコンピュータの置き場という特徴を出すために部屋を貸す不動産賃貸に近い契約でも敷金は不要と言うのが売りでした。これを逆手に取って、敷金を貰って賃料を安く提示してもよいかという稟議を社内で上げて変わり者の事業部長の承認を得ました。当時はデータセンターは入居者が少ないので、どんな手でも構わないというような事情もありました。会社として敷金は単なる預り金なのでもらって雀の涙もいかない程の利子があるくらいの何のメリットも無いものでした。
通信会社の購買部門を訪問した時に、私が応接室で待っていると廊下から「これで決まってしまうね」というような声が聞こえて、私の勤務していた会社のデータセンター採用が有利な状況にあるのを漏れ聞いてしまったのでした。

その後、データセンターは私の勤務している会社に決めてもらい、親会社の取締役に採用御礼の挨拶に私の勤務していた会社の事業部長・営業部長・グループリーダーを同行して訪問しました。この時に面会した取締役はその後とんとん拍子に出世して、10年も後に携帯電話会社の社長になったのを新聞で見て懐かしく思えたものでした。又、同時にできたばかりの携帯電話会社の役員から私の勤務していた会社の知り合いという役員に「あんたの会社のデータセンターに入居したいという稟議書が回ってきた」という連絡があったとも聞きました。縁はどこでどうつながっているか分からないものだとも思いました。
この会社のあるサービスのためにデータセンターに数百台のパソコンが設置されました。データセンターでは無人で24時間稼働させているので故障が分からなという理由で、縦型にぎっしり並んだパソコンを設置してあるフロアの隣の別会社のコンピュータオペレータに、この会社の設置したパソコンの電源ランプを毎朝点検させるというサービスを受注したので、フロアを安値で受注してもトータルでは十分に儲かる仕組みが出来たのでした。しかし、私の勤務していた会社の事業部の融通の利かない設備担当の技術者は安値受注だと私を非難していました。
この会社は価格査定が非常に厳しくて、私が担当していたデータセンターに入居していた携帯電話会社の設備課長に「今度新しく某社が内定しました」という話をすると「あの会社の購買折衝は大変やろね」と関西弁でまくしたてられました。実際のところ、工事の見積書には事細かに明細提示を求められて世間の最低価格にそろえるようにとの要請があり、社内で何時も使っていた工事会社との折衝にも苦労したことは鮮明に覚えております。