広告会社の引っ越しではパソコン販売の他にもう一つの開発案件を受注しました。
この案件はデータセンター選定の検討メンバーであった50歳代の男からの依頼だったので驚きました。引っ越しするに際しては役割を決めて各々がベンダーと調整しながら話を進め引っ越しの準備をしたのですが、この室長に次ぐ地位の50歳代の男は自分の担当である会議室予約システムの検討をすっかり忘れていたようでした。会議室予約であればサーバー1台導入してパッケージソフトを見繕って導入すれば済むと思いましたが、この男は忘れていたとうことを情報システム室内では言い出さないような雰囲気らしく、ハードウエアの購入は無しで会議室予約システムの導入をなんとかできないかという質問がきました。そうするとホスト計算機を使うしかなく検討をしました。同時に、長い付き合いのある外資系コンピュータ会社には自分の恥となるような話なので持ち掛けられないという事情もあって、私の勤務していた会社に相談があったのだと感じていました。

この時に出てきた事業部内のシステムエンジニアは、頭の悪そうか顔をした事業部長が代筆代者として異動させた子飼いの40歳位の部下でした。年に四半期の事業部業績説明資料の作成時以外は暇なのでそういう事になったのだろと思いました。それでも、この男は少しはホスト計算機の知識があったので、広告会社の情報システム室の50歳代の男と打ち合わせを始めることが出来て仕様を固めました。同時に会議室予約システムは引っ越しの前にはできていないといけないので特急で制作する必要がありました。
プログラムを作るにも私の勤務していた会社の事業部では能力無く人もいないので、外注会社から緊急でプログラマを2人集めて制作しました。費用は何の考慮も無く足し算して1千万くらいだったので広告会社の50歳代の男も驚いていましたが背に腹は代えられないというので、この時は私の勤務していた会社の見積書を値引きもせずに受け取ってくれました。そのくらいに事態はひっ迫していたという事情がそうさせたのだと思います。

会議室予約システムはぎりぎり引っ越しの時期より少し遅れて開発が完了して何とか目的を達成することができました。システムは当然ながらホスト計算機の画面で行うので見栄えはよくはありませんでしたが、機能は一応満足しているというものでした。このシステムは5・6年ほどは使用されたと思いますが、その後の消息は分かりませんでした。と言うのも、私の勤務していた会社の事業部は派遣システムエンジニアのアウトソーシング提案に失敗したり、この会社の契約に難癖をつけてごたごたし始めたのが理由でした。もう客先とはどんどんと縁遠くなって行ったということでした。
それに加えて、客先の専務が交代したのにつれて、情報システム室長が交代したことも理由のひとつでした。50歳代の男は情報システム室長の完全なる子分役に見えたので、上司が閑職に異動させられると必然的に室内での地位も失ったように思えたのでした。悪い事は重なるもので、自分の親分である室長が異動してから暫くすると病気になって半年ほども会社を休んだことも、ますます室内での影が薄くなった要因だと感じました。サラリーマンの人生訓というものをこの時の広告会社の人事異動で再認識をすることになったのを思い出しますが、自分はことごとくそういう勉強を習得しなかったというのも重ねて思い出すことがあります。