広告会社のコンピュータが私の勤務していた会社のデータセンターに移転した後に、折角のご縁なのでということで機器の販売をすることが出来ました。しかし、会社の技術者は口先だけだったので私が機器を販売した後に、ソフトウエアをインストールしようとしても出来ませんでした。担当者は2年目の新人でしたが、新人が出来ないのであれは上司が立ち会って行うべきものだろうと思ったのですが、そういう指導はされていないようでした。担当者をサーバーの置いてあるデータセンターに派遣すれば終わると思っていたようで、そのくらいに程度の低い会社であるというのを身をもって知らされたのでした。
中々セットアップができないので、広告会社の情報システム室の注文をだした30代の男は専属の外注SEをデータセンターに派遣してセットアップをさせました。作業は何にもなかったように直ぐにセットアップは終わり、私は酷く気分が悪くなりました。情報システム室の30代の真面目な男性社員は「まあまあ」というような口ぶりで非難はしませんでしたが、私はひたすら謝罪をしたというようなことがありました。サーバーも珍しい時代の話とはいえ、その対応の悪さは多分今も同じだろうと感じております。
コンピュータ移転が終わって1年もすると、今度は派遣SEの業務をアウトソーシングするという話が持ち上がりました。再び提案してほしいというのですが、何せ当時でも破格の安い派遣費用でベテランのシステムエンジニアを外注していたのに、更に費用を抑制したいというのが趣旨のようなので、私は最初から無理筋だなと思いました。それでも何とか考えようというので社内で検討に入りました。
その時に出てきたのが、頭の悪そうな顔をした事業部長が子分として連れてきた、人の良い私よりは少し若し男でした。この男の価値は、事業部長が殆ど文章や資料を作る能力が無いので、その手足としての動くことでした。「言わばワープロ代行のような仕事」だと私は職場でも茶化して言っていました。確かに文字をたらたら枚数多く事実を整理して書くことができるのですが、それ以上のものは無いのでお客様に対して説得力のある資料などは作成は困難でした。
その男に提案書の作成をさせるというのを、何もできない事業部長が決めたので仕方なく従わざるを得ませんでしたが、そうなると難しい条件の案件だけに余計に無理だろうというのは予想がつきました。かなり難度の高い提案書なので、もう一人移動してきた偏屈な年配の技術者を加えて3人で資料をまとめようとしましたが、提案書を書く本人が本筋を理解しないまま勝手に書いて、それをさっさと事業部長に説明するので頓珍漢なものが出来あがるのは自然の成り行きでした。私が書いていれば、ああもするこうもすると考えたのですが、全く違うものが出来て何とも歯がゆい思いをしたのでした。嵐になった休日も出勤して飯も食うのもそこそこに、広告会社が求めるものとは違う内容の提案書を作成したのでした。そういう天気の悪い事ばかりが記憶に残るほどに提案書の中身は薄いものだとも思えました。
提案書の説明日朝に、この提案書を書いた男は徹夜して仕上げました。この男はやたら徹夜が好きで何かあるたびに徹夜するので、エレベータで会った時の挨拶が「おや今日も徹夜ですか」と尋ねると「へへへ・・」と笑うのが常でした。
提案書の説明会は古いビルの中の狭い会議室で、情報システム室員が半分ほどが出席したので驚きました。コンピュータの移転ではちゃんと予定通り計画して実行し、情報システム室の要求通りにすべて満足させる仕事をしたので提案は期待されていたのではないかと思いましたが、提案が全く期待外れだったので直ぐに落選が決まりました。
この広告会社のコンピュータ移転提案は最初は誰にも手を出さないで仕事が出来たのですが、一旦会社の中で認知されてしまうと、仕事の分からない輩が色々な指示をだすので、段々と客先と険悪になり客先は離れていくということが起きるのでした。
サラリーマンとして自分保身にしか考えられない集団が、自分とは利害関係の無い会社に対してサービスを提供しよう等というのが元々無理な注文だというのを肌で知る契機となった事案でした。そういう体質は延々と続いているようにも思えました。
中々セットアップができないので、広告会社の情報システム室の注文をだした30代の男は専属の外注SEをデータセンターに派遣してセットアップをさせました。作業は何にもなかったように直ぐにセットアップは終わり、私は酷く気分が悪くなりました。情報システム室の30代の真面目な男性社員は「まあまあ」というような口ぶりで非難はしませんでしたが、私はひたすら謝罪をしたというようなことがありました。サーバーも珍しい時代の話とはいえ、その対応の悪さは多分今も同じだろうと感じております。
コンピュータ移転が終わって1年もすると、今度は派遣SEの業務をアウトソーシングするという話が持ち上がりました。再び提案してほしいというのですが、何せ当時でも破格の安い派遣費用でベテランのシステムエンジニアを外注していたのに、更に費用を抑制したいというのが趣旨のようなので、私は最初から無理筋だなと思いました。それでも何とか考えようというので社内で検討に入りました。
その時に出てきたのが、頭の悪そうな顔をした事業部長が子分として連れてきた、人の良い私よりは少し若し男でした。この男の価値は、事業部長が殆ど文章や資料を作る能力が無いので、その手足としての動くことでした。「言わばワープロ代行のような仕事」だと私は職場でも茶化して言っていました。確かに文字をたらたら枚数多く事実を整理して書くことができるのですが、それ以上のものは無いのでお客様に対して説得力のある資料などは作成は困難でした。
その男に提案書の作成をさせるというのを、何もできない事業部長が決めたので仕方なく従わざるを得ませんでしたが、そうなると難しい条件の案件だけに余計に無理だろうというのは予想がつきました。かなり難度の高い提案書なので、もう一人移動してきた偏屈な年配の技術者を加えて3人で資料をまとめようとしましたが、提案書を書く本人が本筋を理解しないまま勝手に書いて、それをさっさと事業部長に説明するので頓珍漢なものが出来あがるのは自然の成り行きでした。私が書いていれば、ああもするこうもすると考えたのですが、全く違うものが出来て何とも歯がゆい思いをしたのでした。嵐になった休日も出勤して飯も食うのもそこそこに、広告会社が求めるものとは違う内容の提案書を作成したのでした。そういう天気の悪い事ばかりが記憶に残るほどに提案書の中身は薄いものだとも思えました。
提案書の説明日朝に、この提案書を書いた男は徹夜して仕上げました。この男はやたら徹夜が好きで何かあるたびに徹夜するので、エレベータで会った時の挨拶が「おや今日も徹夜ですか」と尋ねると「へへへ・・」と笑うのが常でした。
提案書の説明会は古いビルの中の狭い会議室で、情報システム室員が半分ほどが出席したので驚きました。コンピュータの移転ではちゃんと予定通り計画して実行し、情報システム室の要求通りにすべて満足させる仕事をしたので提案は期待されていたのではないかと思いましたが、提案が全く期待外れだったので直ぐに落選が決まりました。
この広告会社のコンピュータ移転提案は最初は誰にも手を出さないで仕事が出来たのですが、一旦会社の中で認知されてしまうと、仕事の分からない輩が色々な指示をだすので、段々と客先と険悪になり客先は離れていくということが起きるのでした。
サラリーマンとして自分保身にしか考えられない集団が、自分とは利害関係の無い会社に対してサービスを提供しよう等というのが元々無理な注文だというのを肌で知る契機となった事案でした。そういう体質は延々と続いているようにも思えました。