新規事業の立上時は六本木の貸しビルで営業していたのが、当時は鋼材不況で縁者親取引戚筋に建物を建ててもらう事が多々あり、八丁堀の川端の鋼材倉庫会社にビルを建てて貰い、店子として新規事業部丸ごとが引越しをしました。ビルは狭く細長い敷地に建てられたので外観は横から見ると不安定な感じのするくらいに薄くアンバランスな感じでした。
六本木の貸しビルで営業をしていた時は、貸しビルの地下がレストランになっていて、栄養豊富で種類の選べる昼飯には不自由は無かったのですが、八丁堀の場末のビルでは昼飯の調達は弁当屋かビルの1階にある喫茶店しかないような状態でした。
話はそれますが、転職前の会社の昼飯はビル毎1000人以上がビルの地下で作る質素な弁当を食べていましたので、転職後に六本木の貸しビル地下にあるレストランで栄養のある昼飯を食べていたら、あっという間に体重が5Kgも増えてしまった経験があります。
この細長いビル1階にある喫茶店兼レストランはビルオーナーの奥さんが趣味でレストランをやりたいと言って始めたものだと聞いてみて、60歳を過ぎて白髪のお婆さんが何でいるのだろうというのが理解出来ました。
日替わりのランチがあったのですが特段に美味しいものでは無く普通でした。料金も7・8百円で当時としては相場でした。昼飯を食う場所が無いので昼飯時は繁盛をしていました。
しかし、5・6年もするとビルの人口が増えて事務室のスペースが無くなって、この1階にあったレストランも何時の間にか無くなっていました。
名の知れたレストランならばつぶすのは惜しいと言われたのでしょうが、趣味で始めたような店は店子の都合であっという間につぶされたのではないかと思いました。
このレストランは特別に飯が美味いわけでもなかったし、その他に思い出す理由を考えてみると、若い店員に混じって一人だけ年配のおばさんが配膳なんかをしていたということかなとと思いました。
特別な人間関係があったわけでもなかつたのですが、毎日利用していたので自ずと自分の心の中に影が投影されていて、そういうものが時々浮かぶのかとも考えることがあります。
人間関係の機微と言うべきもかも知れないと思うのですが、毎日の仕事の中ではもっと濃密な人間関係の印象が残るはずですが、自然態では無い損得とか感情が織り込まれた機微には思い出として残るものは少ないと考えるこのごろです。
六本木の貸しビルで営業をしていた時は、貸しビルの地下がレストランになっていて、栄養豊富で種類の選べる昼飯には不自由は無かったのですが、八丁堀の場末のビルでは昼飯の調達は弁当屋かビルの1階にある喫茶店しかないような状態でした。
話はそれますが、転職前の会社の昼飯はビル毎1000人以上がビルの地下で作る質素な弁当を食べていましたので、転職後に六本木の貸しビル地下にあるレストランで栄養のある昼飯を食べていたら、あっという間に体重が5Kgも増えてしまった経験があります。
この細長いビル1階にある喫茶店兼レストランはビルオーナーの奥さんが趣味でレストランをやりたいと言って始めたものだと聞いてみて、60歳を過ぎて白髪のお婆さんが何でいるのだろうというのが理解出来ました。
日替わりのランチがあったのですが特段に美味しいものでは無く普通でした。料金も7・8百円で当時としては相場でした。昼飯を食う場所が無いので昼飯時は繁盛をしていました。
しかし、5・6年もするとビルの人口が増えて事務室のスペースが無くなって、この1階にあったレストランも何時の間にか無くなっていました。
名の知れたレストランならばつぶすのは惜しいと言われたのでしょうが、趣味で始めたような店は店子の都合であっという間につぶされたのではないかと思いました。
このレストランは特別に飯が美味いわけでもなかったし、その他に思い出す理由を考えてみると、若い店員に混じって一人だけ年配のおばさんが配膳なんかをしていたということかなとと思いました。
特別な人間関係があったわけでもなかつたのですが、毎日利用していたので自ずと自分の心の中に影が投影されていて、そういうものが時々浮かぶのかとも考えることがあります。
人間関係の機微と言うべきもかも知れないと思うのですが、毎日の仕事の中ではもっと濃密な人間関係の印象が残るはずですが、自然態では無い損得とか感情が織り込まれた機微には思い出として残るものは少ないと考えるこのごろです。