平成元年4月に新しい会社に入社しました。
職場は新規事業部というので六本木でも街の端にあるビルの3フロアを借りて仕事をしていました。

職場環境
元々情報システムの知識・経験の皆無なプロパー社員と転職組社員とのモザイクの様な組織でした。
当時の私の上司になる部長は新しい事業で会社の中で名を上げようとしていたサラリーマン根性が染み付いた人で、とにかく出世のために部下に厳しいことを言っていました。
職場に慣れるとそういう意識が分かったので随分とがっかりしましたが、以前の会社と比較してみても同じような体質でした。ここで日本の会社ではサラリーマンという出世欲にかられた人種が存在するということを再確認した訳です。
以前の会社と違ったのは報告文化が紙ではなく口頭で済む場合が多かったので楽だったことでした。
新規事業部でとにかく業績を上げたいというので、滅茶苦茶な仕事の進め方でも認められるというな雰囲気はベンチャーに繋がるものもありましたが、所詮は会社の一組織という限界もありました。

この新規事業部では新入社員は何も分からず走りまわされて性格がそのまま出て、ゴマすりをしたり、他人をけおとしたりとやりたい放題でした。知識を与えずノルマばかりを声高にいう、ある意味では外資系のベンチャー会社の要素が多分にありました。そういう職場になじめない若者が職場を去っていきましたが、私の目からは当然というよりも賢いと思えるときもありました。

事務担当のプロパー社員の女性からは転職者を差別する意識があり、この女性が結婚退職するときにはほっとしました。

転職者の様相
転職してきた技術者は色々な会社で情報システムに係わった人がいましたが、技術レベルはいまいちの人の集団でした。プロパー社員の技術レベルが低いうえに助っ人の技術者もたしたことは無かったので、この新規事業はいくら金をかけても物にはならず最後はシステム開発のみの会社になりました。
当然ながらシステム開発も何時も「リスク&リスク」と叫ぶ管理者ばかりで、能力が無いのを高値で請けるのが当然という体質にならざるを得ませんでした。

一方の営業職は外資系会社から転職してきた営業マンが多く給料額のみで動く連中でしたので、入社後「聞いていた話と違う」とか「そろそろこの事業は辞めそうですよ」と言って、自分は努力しないで事業が傾きそうだと感じて辞める人も多くいました。残ったのは中小企業の出身者や粘り強く耐える人だけとなりました。

プロパー社員
新規事業部では本業から余剰で異動してきたプロパー社員を管理者を役職につけていましたので、干からびた学歴を誇示する知識力・管理力の無い連中ではどのみち転落の道を進まざるを得ない状況でした。
新規事業を仕切るトップも金で何でも解決できると考えていたようで安易に小さな米国のベンチャーを買収していましたが、そういう安易な考え方は当然ながら全て失敗して最後には何もなくなりました。
しかりながらサラリーマン天国でしたのでそういう失敗をしても、責任をとるという事は無く会社を辞める人は誰もいませんでした。定年後は子会社の役員になるとかしていたので、つくづくいい会社だというのは理解しました。