その一)
昭和50年中ごろに長野の会社にコンピュータを納入してから、お客様の課長さんとは色々な話題が打合せや酒宴の席ででました。その中の話題に「これからは地方の時代ですから」という言葉がありました。
当時は低成長ながら国内での生産が主流だった時代だったので、地方は生産工場の立地が盛んでした。
しかしながら、その課長さんも「地方は給与水準が低いですから、生活はそれなりに大変ですよ」とも言っていました。
その会社はメーカーの下請けでしたが注文が次々に舞い込み、工場もどんどんと新設するという現場を見ていましたから、確かに「地方の時代」というのもあるのかなと思いました。
私はこのお客様を担当して3年ほどで変わりましたので、その後の消息は知りませんが会社は生き残っています。
その二)
バブル期を経てから日本よりも中国やインド・ブラジルの成長で市場が日本から海外に移ると、自然と生産は国内から海外へとシフトしていったのは衆知の通りです。
その後地方に作った工場はどうなったかは産業分野によっても違うので一概には言えませんが、国内での需要が頭打ちになった以上生産が国内で続けられることも少なくなったと思います。
そういう意味で一時声高に言われた「地方の時代」は終焉したのかどうか、誰もそいう言葉を口にしなくなったので分かりません。
所詮地方の安いコストに依存した生産も市場が海外にシフトされる中、生き残りをかけて道を探っているのが現状ではないかと思います。厳しい経済環境下、地方企業が将来も活動できるようになると始めて地方の時代の幕開けになるのかな思うこともあります。
昭和50年中ごろに長野の会社にコンピュータを納入してから、お客様の課長さんとは色々な話題が打合せや酒宴の席ででました。その中の話題に「これからは地方の時代ですから」という言葉がありました。
当時は低成長ながら国内での生産が主流だった時代だったので、地方は生産工場の立地が盛んでした。
しかしながら、その課長さんも「地方は給与水準が低いですから、生活はそれなりに大変ですよ」とも言っていました。
その会社はメーカーの下請けでしたが注文が次々に舞い込み、工場もどんどんと新設するという現場を見ていましたから、確かに「地方の時代」というのもあるのかなと思いました。
私はこのお客様を担当して3年ほどで変わりましたので、その後の消息は知りませんが会社は生き残っています。
その二)
バブル期を経てから日本よりも中国やインド・ブラジルの成長で市場が日本から海外に移ると、自然と生産は国内から海外へとシフトしていったのは衆知の通りです。
その後地方に作った工場はどうなったかは産業分野によっても違うので一概には言えませんが、国内での需要が頭打ちになった以上生産が国内で続けられることも少なくなったと思います。
そういう意味で一時声高に言われた「地方の時代」は終焉したのかどうか、誰もそいう言葉を口にしなくなったので分かりません。
所詮地方の安いコストに依存した生産も市場が海外にシフトされる中、生き残りをかけて道を探っているのが現状ではないかと思います。厳しい経済環境下、地方企業が将来も活動できるようになると始めて地方の時代の幕開けになるのかな思うこともあります。