その一)
昭和40・50年代には社員の融合と慰労という目的で忘年会やゴルフコンペの他に慰安旅行というものが度々企画されました。1泊2日や日帰りというものあるバス旅行です。会社からもこういう行事には補助金が出る制度があったので社員の積み立ては毎月数千円で済みました。
かかる費用の一部は出入の業者からも徴収するのが役目で、営業マンとしてそういう業者からどう評価されているのかがそういう時によく分かります。私が幹事の時は厳しくチェックしたので迷惑そうな顔をされました。
その二)
朝にバスは会社の前から出て帰りも会社の前に帰るというものでしたので、会社という存在が非常に大きかったのかと思います。行き先は温泉で群馬から箱根まであちこち行きました。幹事は持ち回りで、私も一度そういう役目をしたことがあります。
その三)
バスに乗り込むと、朝からバスの中で酒を飲み順番に歌を歌い、職場の喧騒を拡大しながら目的地に着くという具合でした。私が幹事の時は自身が酒を飲まないので、費用を抑えるのと酒なんかはどれも同じだろうというので、早く酔わせるために当時は一升瓶入りのウィスキーを東京駅の南口の酒店で販売していたので、一升瓶を紙袋で隠して見えないようにしてロックや水割りを飲ませた記憶があります。
バスは酔っ払いを乗せて夕方には温泉地に到着して、宿では大宴会が始まります。色々なゲームを企画しました。
中でも面白かったのは日頃の鬱憤を劇にしようというので、何時も苦虫をしたような顔つきの役員の顔を絵に描いて顔につけて皮肉るという寸劇がうけました。演ずる人は何時もそういう人から散々な目に合わされているいる男だったので、余計に皆の笑いを誘ったというものでした。
その三)
そういう慰安旅行も所詮は職場の上下関係をそのまま持ち込んでいるので、楽しいというよりも行事という印象にしか思えませんでした。建前が重要視された時代の遺物だったと思います。
昭和40・50年代には社員の融合と慰労という目的で忘年会やゴルフコンペの他に慰安旅行というものが度々企画されました。1泊2日や日帰りというものあるバス旅行です。会社からもこういう行事には補助金が出る制度があったので社員の積み立ては毎月数千円で済みました。
かかる費用の一部は出入の業者からも徴収するのが役目で、営業マンとしてそういう業者からどう評価されているのかがそういう時によく分かります。私が幹事の時は厳しくチェックしたので迷惑そうな顔をされました。
その二)
朝にバスは会社の前から出て帰りも会社の前に帰るというものでしたので、会社という存在が非常に大きかったのかと思います。行き先は温泉で群馬から箱根まであちこち行きました。幹事は持ち回りで、私も一度そういう役目をしたことがあります。
その三)
バスに乗り込むと、朝からバスの中で酒を飲み順番に歌を歌い、職場の喧騒を拡大しながら目的地に着くという具合でした。私が幹事の時は自身が酒を飲まないので、費用を抑えるのと酒なんかはどれも同じだろうというので、早く酔わせるために当時は一升瓶入りのウィスキーを東京駅の南口の酒店で販売していたので、一升瓶を紙袋で隠して見えないようにしてロックや水割りを飲ませた記憶があります。
バスは酔っ払いを乗せて夕方には温泉地に到着して、宿では大宴会が始まります。色々なゲームを企画しました。
中でも面白かったのは日頃の鬱憤を劇にしようというので、何時も苦虫をしたような顔つきの役員の顔を絵に描いて顔につけて皮肉るという寸劇がうけました。演ずる人は何時もそういう人から散々な目に合わされているいる男だったので、余計に皆の笑いを誘ったというものでした。
その三)
そういう慰安旅行も所詮は職場の上下関係をそのまま持ち込んでいるので、楽しいというよりも行事という印象にしか思えませんでした。建前が重要視された時代の遺物だったと思います。