その一)
私がこの事業部に移動してから7・8年も経ったある時、事業部の成績がどうしても良くならないので営業部長を社外から呼ぶというので当時の専務の肝入りで入社した男がいました。もう五十も超えていたような年だったと思います。
その男が営業部長に就任すると、以前の悪事を暴いていきました。一番の問題は売上でいわゆる架空計上を厳しく取り締まったので業績が著しく悪くなりました。自分で自分の首を絞めることに気づいていたらもう少し動きは違ったと思いますが、最後の結末は変わらなかったかも知れません。
その男は外資系での経験を売りにしていましたので、以前は商品が問題ないものばかりを売っていたわけです。ところが我々が扱っていたのはボロな機械でしたのでそういう前提の理解が不足していました。5年程も部長職を担当しましたが結局業績も回復せず、役員も退任して後ろ盾がいなくなって、最後は関連会社に出されてしまいました。
その二)
その男は自分だけでは新しい会社に来ても不安だというので子分を三人ほど連れてきましたが、最後まで残ったのは一人だけで、最後にはその男も関連会社に出されてしまいました。
その三)
この出来事で学んだのは、所詮売れないものは売れないという当たり前の事実でした。売れるには当然ながら売れるだけの物の価値がないと売れません し、価値が無ければ営業が別の価値を賦与しない限り売れないというものでした。
私がこの事業部に移動してから7・8年も経ったある時、事業部の成績がどうしても良くならないので営業部長を社外から呼ぶというので当時の専務の肝入りで入社した男がいました。もう五十も超えていたような年だったと思います。
その男が営業部長に就任すると、以前の悪事を暴いていきました。一番の問題は売上でいわゆる架空計上を厳しく取り締まったので業績が著しく悪くなりました。自分で自分の首を絞めることに気づいていたらもう少し動きは違ったと思いますが、最後の結末は変わらなかったかも知れません。
その男は外資系での経験を売りにしていましたので、以前は商品が問題ないものばかりを売っていたわけです。ところが我々が扱っていたのはボロな機械でしたのでそういう前提の理解が不足していました。5年程も部長職を担当しましたが結局業績も回復せず、役員も退任して後ろ盾がいなくなって、最後は関連会社に出されてしまいました。
その二)
その男は自分だけでは新しい会社に来ても不安だというので子分を三人ほど連れてきましたが、最後まで残ったのは一人だけで、最後にはその男も関連会社に出されてしまいました。
その三)
この出来事で学んだのは、所詮売れないものは売れないという当たり前の事実でした。売れるには当然ながら売れるだけの物の価値がないと売れません し、価値が無ければ営業が別の価値を賦与しない限り売れないというものでした。