その一)
1974年の1月6日(月)親会社の本社6階に辞令を貰った子会社出向者10人が出向いたのである。この場所は電子計算機の販売部門がずっと居座った場所で、私が1989年退職するまで15年ほどをこのフロアで過ごすことになったのある。
この場所はビルの北側に位置しているので朝には南の窓から朝日が入り、夕方には西日が入るというものであったが、直ぐに西側にビルが建ったので西日も入らない暗い事務所であった。
天井の蛍光灯には一個一個にスィツチの紐がついており天井から蝿取り紐がぶら下がっているような光景であった。
それに加えてビルが古いせいか空調機の風周りが弱く煙草の煙がもうもうとする時もあった環境の悪い部屋であった。一番北の場所には事業部長が陣取り、その前に机が何列も並ぶというような机の配列であった。部屋に入るまでは廊下は石造りなのだが、部屋の床は安いビニール製だったので、あちこちが波打っているような状態であった。

その二)
近くに丸ビルという有名なビルがあったのだが、こちらはもっと年期が入っていた。地下の食堂街は戦前の趣を残してしたので今でも懐かしく思い出されるのである。丸ビルは四角で真ん中が抜けたビルというのを知っているのは、このビルの事務所に勤務したか出入りした人しか知らないことだろうと思います。その部屋には当時でも珍しい蒸気式の暖房機があって冷房は窓にはめ込め式のものが取り付けてあるとうものでした。廊下も大理石のような立派な石造りで部屋の扉も高く重厚でした。
一番の驚きは地下から一階へ上がる階段の石で、戦前から余りに多くのサラリーマンが歩いた故に石さえ磨り減って丸く窪んだ場所があったということでした。